一番安全な方法

 実に惜しい人でした。ダンディー、エスプリ、ユーモア、そして勇気。伊丹十三さんは日本人離れした不良性の天才でありました。
 彼のエッセー集『女たちよ』や『ヨーロッパ退屈日記』には唸っちゃいますね〜。


(表紙の絵も伊丹十三作)

 なんと軽妙で辛辣で奥深くておもしろいんでしょう!

 彼は絵を描くのも抜群に上手でしたし、つくる映画もユニークですべて大ヒットしました。

 何よりも、「宗教団体」とか「やくざ」とかアンタッチャブルな題材に挑戦した勇気ある方でした。

 そのせいで顔を切りつけられた事件もありました。

 彼の自殺とされる死の真相も、実は殺されたのでは?という疑念を持つ人がいまだに多くいます。

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 彼のエッセーの中に、世の中で「一番安全な方法」について逆説的に書いたものがあります。

 私はかつてその文章を読んだとき思いました。

 「なるほどな〜、これが大人の知恵ってやつだ!」 


伊丹十三「女たちよ!」
「だめな馬とだめな騎手」より抜粋



 ドイツの車というものは、実に油が洩れないそうである。

 あるガレージの親爺がほとほと感心してそういっていた。

 これに反して、Eタイプージャグアはどうか知らないが、イギリスの車というものは、これはもう実に当り前のように油が洩る。

 なんとも欠点だらけの車だ、という印象を人にあたえる。

 なんとイギリス人は無器用な国民であることか、と一笑に付す前に、ちょっと考えてみようではないか。

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 一体、油が洩らないようにする技術とはそんなに高度な、困難なものなのか。

 いやあ、そんなことはないはずだな。

 いくらイギリス人が無器用だといっても、油の洩らない車くらい作れないわけがない。

 イギリス人にとって、油が洩る、ということは欠点ではないのだ。

 いや欠点でないどころか、むしろ、それが必要ですらあるらしいのだ。

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 ロータスの工場の、あるエンジニアと話をした時、このことを質問してみたら、彼はむしろ上機嫌で答えたものである。

 「あれは、わざとそうなってるんだよ。

 つまり、われわれは、ドライヴァーに、車というものは決して油か洩らないものだ、という誤った観念をうえつけたくない。

 金属と金属の間にパッキングをはさんで螺子でしめつけただけのもんだろう。

 どんなにそれが完全にできてたって、なにかの衝撃で、どうゆるみがこないか、そんなことが保証できるものじゃない。

 保証できないとしたら、なまじっか油が洩れないという印象をあたえるより、むしろ、車というものは油が洩れるものだ、一刻も油断ができない、というふうに考えてもらったほうが故障が少い、とわれわれは思うのだ。

 それがイギリス人の物の考え方なのだ」

 確かにシェイクスピアを生んだ国だけのことはある。

 イギリス人というのは実に人間が好きなのだ。

 そうして、実に人間を観察することが好きなのだ。

 人間を欠点多きものとして認め、そしてゆるし、その欠点の枠の中で、なんとか最良の結果を得ようとする。

 車にもそれが反映して油が洩る、ということになるのであった。

 
 完全な人間などいないのだから完全な機械など作れるわけがない。

 もし仮に作ったとしても人間が完全に制御できるはずがない。

 これこそ科学の真理といえるんじゃないのかな〜。

 だとすれば「想定外」を強調する科学者とは、実は「完全教」という不完全な宗教の信者といえるかもしれませんね。

 あっ!もうひとつ「確率教」という宗教もあった!こちらのほうが流行かな?

  →とても不思議な「確率論」

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 でも品質管理がグローバル化した現代、イギリスの車はもう油洩れしないようになっているようです。

 というのは、私の10年来の愛車トヨタ・アベンシスはイギリス生まれのヨーロッパ仕様。
 
 なのに20万キロ走行中の今に至るまで油が洩ったことなどありませんでしたから。

 「大人の知恵」ともいうべきことが、「科学技術の進歩」と比例して失われていくのは何とも皮肉なことです。