わが愛しの股関節

 だいぶ股関節も回復しつつあるのですが、普通に歩けるにはもう少しかかりそうです。何とか夜痛まずに安眠できるレベルまで戻したいものです。
 人の一生は幼児期の体験に大きく影響されると言われます。

 それは精神的なことについてだと理解されがちですが、肉体的なこともその人の一生に大きな影響を与えるようです。

 わが愛しい「痛みの股関節」がまさにそうです。

 しかもそれは私の「もっとも古い記憶」でもあります。


(映画「センター・オブ・ジ・アース」より)

ノボ・アーカイブス

いちばん古い思い出


 幼児期の体験が人の一生を無意識に支配する、と心理学はいう。そうなのだろうか?私のいちばん古い記憶を探って、これまでの自分と重ね合わせてみたいと思っている。目をつむって記憶の洞窟、地下の水脈をたどって行く・・・小学校、幼稚園、三歳の頃・・・その先はもう狭くて暗くて進めない。


 たぶん二歳の後半か三歳の時だった。親は私が膝でしか歩けないことを本気で心配しはじめた。戦後、高度成長期に入る前の町場は、日々賑やかさを増していた。父は学校教員で日中は不在、食料品店を一人で切り盛りしていた母は忙しく、姉と私の世話を丹念にする余裕などなかった。


 よその子より歩き始めるのは遅くても、読み書き話しは他の子より少し早いようだから、と安心していたのだろう。実は私は両足股関節脱臼だった。


 いちばん古い記憶というのは、股関節脱臼の診断のために仙台の国立病院のベッドに寝かされたときの思い出だ。その頃我が家は災難続きで、三年半ものシベリア抑留から帰り教員に復帰していた父は結核となり仙台の厚生病院に入院した。姉も重い感染症を煩い、その頃ようやく手に入った抗生物質でなんとか命が助かったばかりだった。


 ということで、母親一人で店をし、私たちの面倒を見、下宿の高校生二人のおさんどんをしていた。血圧も高く、食欲旺盛、身体だけは丈夫な母だったので「なにくそ!」と思って必死に生きていたに違いない。


 さて、国立病院のベッドに寝かされた私は天井をとても不安そうに見ていた。まわりには、母親に付いてきてくれた叔父と叔母がいたと記憶している。やがて、白衣の先生がやってきた。私の股関節を調べるために、足をいろいろと触り曲げる。その痛いこと!怖いこと!私は、猛獣にも負けないくらいの大声で泣き騒ぎ、暴れまくった!!


 たぶんこのときからだと思う。白衣が怖くなったのは。それから小学校低学年まで床屋さんの白衣にも大いに反応し、あるときなどは、手を付けられなくなった床屋さんが自転車の前荷台に私をのせて送り返したこともある。


 なぜ、この日の記憶が鮮明なのか理由がある。手を付けられない私に、叔父だったか叔母だった忘れたが、私にこう言った。「ノボちゃん、ほら隣の子見らいん!静かにしてで泣いでなんかいないっちゃ」私は顔を曲げて隣のベッドを見た。そこには、私ぐらいの女の子がいて、静かな目でじっと泣きわめいている私をみつめているのだった。


 「ほら、恥ずかしいすぺ!」と叔父か叔母が続ける。私は、この時のとても恥ずかしかったという気持ちを強烈に覚えているのだ。だから、この記憶が鮮明に残っているのだろう。


 やがて、私の股関節はあれこれいじられ、石膏のギブスで固められた。その後一年間以上もギブスをされていたのだが、不思議なことに診察のあの日以来の思い出はほとんど何もないのだ。ただ一つを除いては。


 もうひとつだけ残っている思い出というのは、通院の思い出だ。週に数回だったのか月に数回だったの覚えているわけもないのだが、母は私をおぶって国立病院に何度も通院した。


 ある日、小牛田駅のホームをまたぐ陸橋を渡るとき、杖をついて階段を上がりながら、こうつぶやいたことを覚えているのだ。「あ〜〜、重でっちゃなや」信じられないかもしれないが、おぶられていたそのとき三歳の私は、母に本当に申し訳ないと思ったのだ。


 小さい頃の記憶が一生を支配する、この文章をを書きながらはたして本当にそうだろうか?と思う。小学校一年生か二年生の時、めったに会わない(かわいい)従兄弟の姉妹が我が家にきたことがある。そのとき、私は恥ずかしくて火のないこたつに何時間もかくれ、姉妹が帰るまで出て行かなかったのだ。親は、そのままにしてくれたようで今思えばありがたいことだった。


 恥ずかしがりやというのは、実は今に至るも続いている。そうではないと思っている友人もいるが、そう見えるのは恥ずかしさの裏返しの行動を見ているに過ぎない。


 つまり私が言いたいことは、小さい頃の記憶とは、自分の持って生まれた性質をより発揮したときの思い出に違いないということで、偶然の出来事の思い出が一生を大きく支配するものではないだろうということだ(たいがい)。


 人は元々の性質のまま一生を生きていき、自分らしい行動が思い出として記憶に残っていくのだ。たとえ正反対に見えることでも同じ根っこから生じた葉っぱの裏表なのだ。


 孫を見ると、私によく似てとても恥ずかしがりやだ。だからこそ、孫の気持ちがよくわかる。きっと孫も「恥ずかしがり」から生じた思い出が、これから一生残っていくことだろう。


 いちばん古い記憶を探るということは、実は自分の持って生まれた性質を鏡のように自分に見せてくれることと知った。それはすばらしいことだと知った。なぜなら、その鏡像がどんなものであっても、「これが自分なんだ」と自分自身をわが子のように愛おしく思えることを知ったからだ。

(2013.9.12)

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