むぐしてしまった思い出

 「むぐした」というのは宮城県の方言で「漏らした」という意味です。忘年会と元朝参りで幼き頃の「むぐした」思い出が蘇ってきました。
 毎年、幼稚園から高校まで一緒だった幼なじみ6名で忘年会をしています。

 私たちが通った幼稚園は「さくら幼稚園」といいました。

 あの頃からもう55年も経つのに、みんなけっこういろんなんことを覚えているものです。

 そして新年、かつて「さくら幼稚園」を経営していた小牛田の「山神(やまのかみ)社」へ老父と元朝参りに行ってきました。

 ふと、幼稚園での恥ずかしい思い出がよみがえりました。


(1月3日、山神社へ元朝参り。社殿へ向かう卒寿の父)

ノボ・アーカイブス

座ったまんま

 
 「三丁目の夕日」の頃が私たちの幼年時代だった。街は活気にあふれ、子供はとても多かった。その頃、自営で忙しい親たちの大きな期待を受けて開園したのが「さくら幼稚園」だった。 


 東北地方でも有名な安産の神社「山神(やまのかみ)社」が経営する私立幼稚園だった。神社の敷地には、風光明媚な庭園、広い池、動物園のような猿たちの檻もあり、今考えると実に贅沢な環境だった。半径三キロぐらいから専用バスで多くの幼児が通ったものだ。


 「きわ子先生」は宮司の何番目かの息子さんに嫁に来た。その前に幼稚園の先生として赴任した。年は十八か二十歳頃ではなかったろうか? みんなの前で紹介されたとき、先生は色白で清楚で初々しくて、私は五歳くらいだったのにとてもどぎまぎしてしまった。それからしばらくしたある日のこと。もうお帰りの時間が近づいた頃にみんなが集められ、先生たちから何かお話があった。


 やってしまったのは終了間際の時である・・・私は我慢できず「そそう」をしてしまった。つまり「むぐしてしまったのだ!」小の方だったのでまだ救われるが・・・私は知らんぷりを決め込んだ。


 なにせ、そのころの私にはちっちゃなプライドがあったのだ。小さい頃からマンガ中毒だったおかげで字を覚え、この頃は先生の代わりに紙芝居を読む役を仰せつかっていたからだ。お利口さんに思われている私が「そそう」などしちゃ恥ずかしい。しかも、初々しい、あの「きわ子先生」に知られたらとても恥ずかしい!


 やがて、先生のお話も終わり、みんな場所を離れていった。しかし、私は決して立つわけにはいかない!お尻も体温で温かくなってきたのでこのまま座っていれば乾くに違いない。そして「そそう」がバレずに済むかもしれない。そんな、やけくその希望を持ちながら、じっと一人座り続けていた。


 先生方は本当に偉いと思う。ホールに一人座っている私などまるでそこにいないように、三人の先生方は一人残らず知らんぷりをしてくれていたのだ。そのまま一人で三十分位も我慢していた。やっと世界地図の輪郭がぼやけてきた感じになった。もうそろそろいいだろうと思ってやっと立ち、少し遠くに移動していた先生たちにごあいさつをして逃げるように帰った。ふりむけば床にはまだ世界地図があった。なんて優しい先生たちだったろう・・・ 今思うと温かい気持ちがとても懐かしい。


 そのきわ子先生は私の母の実家に時々買い物に来ていた。七、八年前のある日、きわ子先生と同世代の叔母が、用事でこの店に来ていた私(その時は奥の座敷にいたのだが)を呼んだ。「のぼちゃん、ございん!(来なさい)あんたの好きなきわ子先生、今買い物に来てるよ〜。」 (なんで知ってるんだ・・・いったい?)


 時は経て、町の過疎化が進み「さくら幼稚園」はなくなった。きわ子先生は二人の娘さんとともに、自宅で私設の小さな保育所を開いた。実は私の初孫もその保育所にしばらく預かってもらっていた。たまに私が送り迎えを頼まれたときは、実に恥ずかしくドキドキしたものだった。


(2011.10.26)

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