ホテルやレストランにコンシェルジュがいるように、文学の世界にもコンシェルジュって必要だなと思うんです。
世にはおびただしい数の文学作品があり、それらを生み出した作家がいます。
いったいどの作家どの作品を読もうか読むべきかと、誰もが悩むのではないでしょうか?
なにせ(まともな)文学作品一冊読むのには数日、いや大作なら数ヶ月、数年かかることだってあります。
案内役がほしいな〜と思うのは当然でしょう。
よい案内役にめぐり会う機会がないと、一生読書とは縁遠い人生をおくることにもなりかねません。
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さて、私にとって思い出のコンシェルジュの一人は筑摩書房『ちくま文学の森』でした。
この文学シリーズはユニークな短編アンソロジーです。
一巻毎にテーマがあって、そのテーマにそった選りすぐりの短編が日本はじめ世界から集められています。
ユニークなのは、その「テーマ」設定です。
たとえば「悪いやつらの物語」とか「怠けものの話」とか「世界は笑う」とか。
つい開いてみたくなるネーミングです。
ちくま文学の森
「美しい恋の物語」「心洗われる話」「幼かりし日々」「変身ものがたり」
「おかしい話」「思いがけない話」「恐ろしい話」「悪いやつらの物語」
「怠けものの話」「賭けと人生」「機械のある世界」「動物たちの物語」
「旅ゆけば物語」「ことばの探偵」「とっておきの話」「もうひとつの話」
新・ちくま文学の森
「恋はきまぐれ」「奇想天外」「人情ばなし」「悪の物語」「こどもの風景」
「いのちのかたち」「愛と憎しみ」「からだの発見」「たたかいの記憶」
「どこか遠くへ」「ごちそう帳」「大いなる自然」「世界は笑う」
「ことばの国」「絵のある世界」「心にのこった話」
現在は「新・ちくま文学の森」16巻のうちから10巻を選んだ「文庫版シリーズ」が販売されているようです。
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すべてが短編なので、とっても気楽にあっという間に一巻を読み終えてしまいます。
何よりも嬉しいのは、今まで知らなかった作家や隠れた佳品と出会えることです。
たぶん、どの図書館にもこの本(シリーズ)は置いてあると思いますから、気楽に一度借りてみるといいですよ。
さて、その中で私が一番思い出に残っている作品は「ごちそう帳」に収録されていたある短編でした。
それは矢田津世子「茶粥の記」という作品です。
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彼女は坂口安吾の恋人としても有名で、知的な風貌でとても美人です。
美人薄命とはよく言ったもので、37歳で亡くなられました。
「茶粥の記」は食べ物を軸に、淡々とした文章が綴られています。
食べたことがない料理をさもおいしそうに食べるふりをしてみせた亡き夫の思い出。
夫亡き後、義母とともに郷里の秋田へ帰る途中立ちよった温泉での情景。。。
どの行間にも夫や義母へのやさしい思いが感じられ、何度読んでも温かい涙がこみあげてきます。
以前私はこの短編についてブログを書きました。
こんな佳品を紹介してくれたコンシェルジュに感謝です。
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そして最近、新たなコンシェルジュに出会いました。
それは昨年末に発売されたばかりの中村明編『日本の作家名表現辞典』です。
日本文学の名作から名表現たるページを切り取り、編者が解説をしてくれます。
まだ一度も読んだことがない作家や作品もあって、実は自分が食わず嫌いだったこともわかったりします。
10分くらいで一作品読めるのが寝る前にちょうどいいようです。
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こうして考えると、「本についての本」というのは大事なジャンルだな〜と思います。
なぜかといえば、敷居の高い「文学レストラン」へ多くの人を上手に誘い、文学料理の美味しさを堪能させてくれるからです。
やはりこの世に「文学的教養」が欠乏すると殺伐とした世界になるし、危険も増えてくる気がします。
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先日、90を過ぎた地元の元高校長だった方が書かれた本を読んだのですが、工学部航空工学科卒の方なのに幅広い教養にびっくりしました。
野鳥の会での活躍、西洋絵画への深い関心、芭蕉研究と俳句への嗜み、そして古武術(剣道)師範としての修行・・・
昔は寺田寅彦、湯川秀樹のごとく文理両道で、純粋な「理科系(だけ)」という人は(偉人に)ほとんどいませんでした。
「教養」をしっかり身につける術を得てから理系的専門を究めたわけです。
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今の世の中は(軽率な)「理系性能」偏重がまかりとおっているようです。
すでにあること、誰かが考え出したことを素早く確実に記憶し、一定範囲まで応用できることが「頭がいい」と賞賛されます。
「理系性能」だけが高い人は、何かを成そうと考えている他人にとって、とても重宝な道具になるので、「人に使われる価値」が高いともいえます。
まるで「コンピューター」みたいです。
しかし「善きものの創造」という人間にとって一番大事な「創造力」は「理系性能」だけからは生まれません。
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「教養」(=人間価値理解力)が不足ゆえに生じている現代社会の「諸悪」「諸不便」はけっこう多いのではないでしょうか?
田辺聖子さんの言葉を思い出します。
「本を読まへん大人が増えた。 だから子どもみたいな国になってしもた。」