自転車に乗れた日

 子供はさまざまな通過儀礼を経て成長していきます。そのひとつが自転車のりでした。
 自転車に乗れるということは、戦国時代なら歩兵から騎馬武者に昇進するようなことでした。

 なにせ行動範囲が大きく広がり、遊びの中身もパワーアップしましたよね。

 誰でもが経験した初乗りの、あの喜びの瞬間!

 私の思い出アルバムをめくってみます。


ノボ・アーカイブス

自転車に乗れた日


 今になってあの頃の遊び場を見ると、どこもかしこも、なんて狭かったんだろう!とびっくりしてしまう。でも小さな子供たちにとっては、たった数十メートルの路地でも、まるで滑走路のような長さに感じられたものだ。


 小学校二年生のときだったな。たしか・・・一人前の少年少女の証(あかし)、それはまず自転車に乗れるかどうかということであった。もちろん補助輪なしで。私の場合は二歳上の姉が、この儀式の介添え役だった。


 その日、小学校二年生の私は四年生の姉に自転車の後ろをつかんでもらい、いよいよ一人乗り自転車初飛行への旅立ちを迎えようとしていた。出発点は、カリスマガキ大将「ノブオちゃん」の自転車屋の脇にある路地だ。そこから二十メートルくらい先には、真っ正面に、これまたガキ大将の「ひろちゃん」の家の玄関がある。その手前の畑地には、例の「だらつぼ」もあった。まちがってもハンドルをそこで曲げてはいけない。私は子供ながらにも、それだけはしっかりと決心していた。


 「のぶお、はなすよ!」と一声かけられ、私は初飛行を開始した。この話を読んでいる皆さんもきっと思い出すことだろう。あのときの悲壮な心境を・・・路地はゆるい坂になっていた。走り出した〜〜〜〜〜〜! スピードを弱めてはいけない。失速する!ハンドルを曲げていけない。悲惨な「だらつぼ」にはまってしまう!とても長い長い時間だった。いや、とてもとても短い時間でもあった。無我夢中というやつだ。


 初飛行は終わりに近づいていた。スローモーションのように終点が大きくなっていく。そして凍り付くような数秒・・・目の前には、ガキ大将「ひろちゃん」の引き戸の玄関があったのだ! ******!!!!!!私はまっすぐ突っ込んでいった!


 戦争ごっこがとても得意なひろちゃんはたぶんこう思ったことだろう。「航空母艦のわが家へ敵の特攻機が激突してきた!」と。ひろちゃんの家は父上が亡くなっていて、母上と姉の三人暮らし。玄関を入ればすぐ茶の間。ちょうどみんなでご飯を食べていた。そこにガラスの引き戸をぶちやぶって、子分っこの私が自転車ごと突っ込んできたのだった!!!スローモーションのような映像が今でも脳裏のスクリーンに映し出される。白黒で。


 その日の夕方だったかな、次の日だったかな?私は母親と一緒にひろちゃんの家にお詫びに行った。ひろちゃんの母上は、少し得意げだった。いつもは「ひろちゃん」の遊びがあぶないと「ねっこんで来る」私の母親が、今日は逆に謝りに来たのだから。


 やがて自転車乗りを完全にマスターした私たち軍団は、ある日は自転車が戦艦になり、ある日は戦闘機となって進軍した。そのようにして遊び場の領土を急速に拡大していったのだった。


(2012.6.26)

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