お江戸の色男は「金も力もありにけり」だったようですね。しかし女性の現実的妥協も大したものだったようで。杉浦日向子さん『一日江戸人』に教えていただきました。
先日のブログでお江戸の美人について書きました。
「色女、色男があっての 美貌かな」なんてところで、今日は色男のほうの研究です。
まずは役者からですな。
現代の「イケメン俳優」に匹敵するのは「歌舞伎役者」であったようです。
日向子さん曰く、「母性本能が揺さぶられてしまいます。」とは今も昔も同じかな〜。
花川戸の助六
江戸中の娘の胸をキュンとさせたイイ男といったら、歌舞伎十八番でお馴染み「花川戸の助六」でしょう。
助六は永遠のツッパリ少年です。
ケンカが強くって、純情、意地っ張りで、おシャレ。
挙動そのものは、ヤンチャ坊主で手に負えないのだけれど、もひとつ、なんてったって、可愛いのです。
母性本能が揺さぶられてしまいます。
とはいえ、助六は、いかにも芝居中の人物で、生活感がまるっきりない非日常の男です。
現実にいる男たちの中で、江戸人の選んだ「男の中の男(つまりこれは娘たちだけでなくて男も惚れる男)」を「江戸の三男」といいました。
さて、それは……?
なんといってもモテたのは「火消しの頭」、現代ならば「消防士」ですが昔とはイメージが違いますね。
今はこんな人がいなくなりました。高倉鍵さんも亡くなりましたしね。。。
火消しの頭
「江戸の三男」とは、火消しの頭、力士、与力の三職のことです。
まず火消しの頭は、町内の顔役です。
どんなもめ事も、頭が顔を出しただけで丸く収まるくらいの貫禄です。
命知らずの血気の若者を数百人従えて、火事となれば鬼神の働きをします。
頭の魅力は侠気でしょう。
「不器用ですから……」と言う健さんの風情と相通ずるところがあります。
お次はお相撲さん。
お江戸では女性は相撲見物できなかったんですね〜。
それだけにあこがれだったのでしょうか?
相撲の力士
次の力士は言うまでもないでしょう。
待ったナシで闘う勝負師の心意気、ステキに決まってます。
おまけに、年に二十日問しか働かをいのに、金持ちで気っぶが良く、豪快に遊ぶ。
相撲を女性が見られない時代ですから、力士はより男っぽい職業だつたのでしょう。
太った体もむしろ富の象徴とうつったようです。
さ〜、最後を飾るのは時代劇の花形「与力」です。
なんてったってこの与力は希少価値です。
大江戸をたった24人で取り締まっていたらしいです。
残念ながら、与力が主人公の時代劇は少ないようです。
『オトコマエ!』というテレビ時代劇の藤堂逸馬ぐらいしか見つかりません。
『鬼平犯科帳』の鬼平は与力の上官の「火付盗賊改方長官」、『必殺仕事人』の中村主水は与力の部下の「同心」、銭形平次や『半七捕物帳』の半七は同心の下で働く「岡っ引き(目明かし)」でした。
エリートと思っていた「与力」が実は「不浄役人と呼ばれて、他の武士からは差別されていた」とは驚きです!
役人の与力
さて、三男の中で一番面白いなと思うのは与力です。
与力は町奉行の配下同心の上役です。
体制側の役人なのに江戸ッ子に愛されるのは、それなりの理由があります。
与力・同心は「八丁堀の旦那」の異名のとおり、下町のど真ん中に住んでます。
そんなわけで、町人との付合も多く、言葉も「来てみねえ」「そればっかり」「そんななァ嫌ぇだよ」なんて町方の言い廻しでしゃべります。
だから、「ござる、しからば」の侍言葉に比べれば、とっつきやすいのです。
しかも、給料以外に役得と称して副収入がありますから、暮らしは優雅で遊びにも精通しています。
(与力は、表向きは二百石ですが、その十倍、二十倍くらいの実入りはあったといわれています)
そして、ビミョーなのは、彼らが罪人を扱う仕事柄、不浄役人と呼ばれて、他の武士からは差別されていたことです。
与力などは家格から言えば、将軍に拝謁できるはずなのに、これがため実際は江戸城にも入れません。
こういった立場が、彼らを身近に感じさせるのでしょうか。
生活は豊かだから、身なりは大名並みに美しいし、それでいて、町人のような督(まげ)を結って「ちょっと、お前、見ねぇ」なんて言ってる……これはやっぱりモテますよ。
力が合って男らしくて?イケメン、高収入、粋、今じゃこんな男はどこにいるのかな〜、なんて考えてしまいます。
ところが。。。
日向子さんが教えてくれるには、「江戸の三男」はあまりに希少価値ゆえか、お江戸の町の実態は実は「軟弱系」が人気だったとか。
なんと!軟弱系、お笑い系が人気だった
容色も気だても良く、自らは働かない高等遊民なのですから、モテぬはずはありません。
丹次郎には及ばぬまでも、なんとかモテたいと思う人は、特技を身につけます。
今でもミュージシャンは女の子のアコガレですが、江戸のころも唄がうまくて三味線の弾ける男の子がモテました。
音楽が苦手な人にはモノマネがあります。
コンパなどで芸能人のモノマネをする男の子が人気者になりますね。
江戸では、もっぱら歌舞伎役者のマネをしました。
意外なのは、筋肉ムキムキのアーノルド・シュワルツェネッガー・タイプが江戸ではモテなかったことです。
「人力」が生活エネルギーだった江戸時代は、普通に暮らしていても、男の人にはそうとうの筋肉がついていたし、町には褌一本で駆け回る肉体労働者も多かったので、ムキムキ肉体美には、さほどの感動もなかったようです。
逆に色白のやさ男が希少価値としてもてはやされ、侠気が売り物の博徒でさえ、実は真っ白なキズのない体を自慢にしたといいます。(ちなみに、ちゃんとした博徒は刺青をしなかったそうです)
なんだ、お江戸も今もジャニーズ系とか吉本系とか人気だったんだすね〜。
女性ってのは実に現実的なもんじゃわい、とあらためて感慨にふけりました。