漫画家になりたかった同級生の友人がいます。彼のバイブルである本を貸してもらいました。
私の同級生であり、わが会社の製品やWeBのデザイナーでもあるゴリランジェロ氏が、彼の大切にしている本を私に貸してくれました。
彼は小学校の頃からとても漫画がうまく、中学校では「びっきの会」という少年漫画集団のリーダとなり、よくNHKテレビなどで紹介されました。
私は小中学校は彼とは異なりましたが、テレビにやなせたかしさんなんかと一緒に映っていた彼を見てまぶしく感じたものでした。
同じ高校で出会ったとき「あっ彼だ!」と喜んだものです。
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そんな彼がカリスマとして敬愛やまぬ漫画家が(故)永島慎二です。
その彼がバイブルにしているのが『漫画家残酷物語』というとっても厚い漫画本です。
出版されたのは昭和50年ですが、中に入っている作品は昭和35,6年くらいから昭和40年代に描かれた短編です。
永島慎二を慕うもとアシスタントたちが、当時「貸本」として描かれたこれらの短編を忠実にトレースしてまとめた本らしいです。
週末、この本を彼は私に貸してくれました。
今、半分くらい読み終わりましたが、ノスタルジーに襲われ、現代とくらべてあれこれ感じさせられます。
東京で、三畳一間に住む学生や若者もけっこう多かった時代です。
若者の多くが、「ぼろは着てても、心は錦♪ どんな花よりきれいだぜ〜♪」(水前寺清子)の心意気でした。
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彼が本を貸すきっかけとなったのは、週末に二人で、仙台にあるとっても老舗の喫茶店「珈巣多夢(カスタム)」のマスター伊藤強さんを訪ねたからです。
彼の喫茶店は漫画家志望の青年たちのたまり場でもあったのです。
マスターの伊藤さんは、とってもユニークな地域社会活性化の企画マンでもあり、彼の人柄を慕う方々も多いようです。
中でも、今では仙台市の名物となった「光のページェント」は、彼が発案し最初に実行したのだそうです。
7,8人も入れば満杯のような大学病院裏の本店で二時間、伊藤さんは思い出や現在取り組んでいる様々な企画、夢について語ってくれました。
身内のどなたかがガンで苦しい闘病をされた体験から、毎月何回か「名取ガンセンター」を訪問し、ボランティアで美味しいコーヒをたててくるという話を聞いたときはグッときました。
ゴリランジェロ氏とも久しぶりなのですが、二人ともまるで昨日も会っていたような雰囲気でした。
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私は、永島慎二についてそれほど知っておりませんでしたが、ゴリ氏の影響を受けてあれこれ作品やらエピソードを知ると、実に大切な方であったと思わざるを得ません。
それはかつて、漫画が「詩」であり「絵」であり「人生」であり「哲学」であった時代の雰囲気を感じさせるからです。
そして思うのです。
私たち還暦世代周辺は、永島慎二の作品世界の時代をともに生きたはず。
あの頃は自分自身も弱かったのですが「弱き他者への慈しみの目線」と「既存の権威や権力にへつらわない気概」を持っていたのです。
それがいつのまにかその逆の価値感に染まってしまったようです。
自分自身もそんなふうになったことを感じつつ、青春時代の純粋さを多少の痛みと寂寥感をもって思い出すのです。
青春時代、私たちは「経済価値」や「政治価値」などよりも「人間価値」を大切にしていました。
そんな時代の自分(たち)を思い出すのでした。
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この『漫画家残酷物語』に、永島慎二がカリスマとして仰ぎ、いっとき永島がアシスタントをしていた手塚治虫が心温まる献辞を書いています。
永島慎二もきっと本望であったことでしょう。
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さて、わが友人ゴリランジェロ氏は(私と共催している)「あったか美術館」で永島慎二のネット美術館の準備をしています。
さらにゴリランジェロ氏が中心となって、facebookでも「永島慎二先生!!」というグループをつくり、永島慎二のアシスタントを務めていた方や、彼を慕う人々が集まって遺作やエピソードの収集をしています。(グループはメンバー制)
というのは、永島慎二は自分の作品を博物館のようにして(立派そうに)遺すということを嫌っていたようで、作品や資料が散逸しているらしいのです。
私もメンバーの末席をけがしておりますが、青春時代の感性をふたたび感じられるグループの一員であることにささやかな喜びを感じております。
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最後に漫画家になりそこなったゴリランジェロ氏の最新作を紹介して終わりにします。(毎月わが社のメルマガにこのような作品を描いてもらっています)