昔もイジメはあったな〜

 毎日のようにイジメがからんだ凶悪事件が報じられ、世の中狂ってきたんじゃないかと思うことがしばしばです。でも昔を思い出してみると。。。
 昔も今と変わらぬ残酷なイジメはあったんです。

 最近特に感じることが多くなったのはこんなことです。

 かつていじめられた人は「いつか見返してやるぞ」という強い執念をもって生きてきたにちがいないということです。

 いじめのせいで悪の道へ走った奴もけっこういます。

 腹にしまいこみながら立身出世して、その後とても威張りくさくなった奴もいます。

 どんな人でも、少年期の体験が無意識にその後の人格形成に影響しているんだな〜と感じます。

 それと、今と昔の「いじめっ子」の違いを感じます。

 今は「ネット」が刃物のように使えるので、腕力などない「もやしっ子」でも「いじめっ子」になれるということですね。。。

 もう、顔つき、体つきで「ワル」を見分けることなどできなくなりました。


ノボ・アーカイブス

イヨマンテの夜


 私が小学生だったある日の午後、ガキ大将「ひろちゃん」はみんなに命令した。「アパコを電信柱にくくりつけて、みんなその周りで踊れ!」と。アパコとはなまずに似た魚の名前で、この男の子のあだ名であった。その電信柱はアパコちゃんの家のすぐそばにあった。アパコちゃんの家は魚屋だった。ガキ大将に逆らえず、いやいやみんなでアパコちゃんを縛りつけた。そしてみんなでヒロチャン作詞の替え歌を歌って、まるで生け贄のようにして電信柱の周りを踊った。


 どうしてこんなことになったのか?それはアパコちゃんのお母さんに原因があった。当時、ガキ大将の危険な遊びに業を煮やし、ガキ大将の家へ文句を言いに行く母親は多かった。これを「ネッコミ」と呼んでいた。しかし「ネッコミ」した親の子供は、ガキ大将から復讐として徹底的にいじめられるのだった。かくいう私の母親もそうで、私は何度母親を止めたことだったろう・・・アパコちゃんもまさにそういう事情であった。だから、家である魚屋にわざと聞こえるよう、見えるようにいじめられたのだった。


 なんと子供の世界も残酷だったことだろう。アパコちゃんの「助けてけろ」と懇願する涙顔を今でも思い出す・・・そしてどういうわけか今でもこの歌が耳で鳴りだす。「イヨマンテ〜♪ 燃えよ♪ かがり火♪・・・」そのころなら誰もが知っていた『イヨマンテの夜』。力強い歌い方でヒットした流行歌だ。「イヨマンテ」、それはアイヌの「熊祭り」。ヒグマの子を殺して、その魂であるカムイを神々の世界に送り帰す祭りらしい。そのような生け贄の儀式に思えてしまうのだった。


 今なら「イジメ」として大きな問題となっていたに違いない。しかし、当時このようなことがあまり問題にならなかったのには理由がある。それは、ほとんど誰もが何らかのイジメにあっていたからだ。ガキ大将だって例外ではない。格上のガキ大将からひどいイジメにあうこともあったのだ。そして反対に、誰もがどこかでヒーローになれる場所があった。それで今よりは救われていたのだと思う。


 学校で勉強がよくできても、家に帰ればガキ大将の子分。運動神経が悪ければ「ハカセ」と言われてバカにされた。学校で成績が悪くても、足が速ければ地域のヒーロー。ガキ大将も一目置く存在だった。金持ちの子の家は遊び場にさせられたし、貧乏な家の子でも腕力とか胆力が強ければ、遊びではいつもいい役ををもらっていた。誰もがどこかに「自分が輝く場所」があったのだ。


 とはいえ、度が過ぎることもたしかにあった。実は数年前、ひろちゃんと土手でばったり出くわし、思い出話になったときこんな話を聞いた。ひろちゃんは刑務官をしている。「いや〜、びっくりしたもんだ。あのアパコがさ、「やくざ」になっててさ、俺の勤めていた刑務所(拘置所?)に収監されたことがあるんだよ・・・」あの「イヨマンテの夜」が、その後のアパコちゃんの人生を狂わせたのではないかと、しばし二人でもの思いに沈んだものだった。


(2012.5.25)

kawasimanobuo.hatenablog.jp