「嫌われる勇気」と私たち

 朝、家を出るのが遅れると、遅刻と引き換えにカーラジオで「武田鉄矢の三枚おろし」を聞くことになります。先週は「アドラー心理学」の話をしていました。
 アドラーという心理学者のことを知らずにいた私ですが、放送で小耳にはさんだある言葉に反応しました。

 「トラウマというものは存在しない。あらゆることはすべて自分が選んでいる」

 遅刻しては大変と、放送を途中までしか聞けませんでしたので本を買うことにしました。

 それが「2014年 年間第一位」と帯の付いた岸見一郎、古賀史健共著『嫌われる勇気』という本でした。

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 アドラーという方はフロイトの共同研究者であったのですが、後に別れてフロイトの学説とは反対に近い「個人心理学」を提唱した有名な心理学者とのことです。

 フロイトとその弟子であったユング、そしてアドラーが「心理学の三大巨頭」と称されているのだそうです。

 アドラーの心理学はきわめてシンプル、具体的、積極的で「道は開ける」「人を動かす」の著者D.カーネギーなどに強い影響を与えたそうです。

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 昨日本を読み終えました。

 実は、私は「自己啓発本」というものが安っぽいノウハウ本みたいに感じて好きにはなれないんです。

 しかしこの本は、著者がギリシャ哲学を研究する哲学者であるせいか、深くてとてもためになりました。

 それにプラトンが書いたソクラテスの対話のごとく、哲人と青年の対話形式になっているのでとても読みやすい本でした。

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 さて私は最近の政治状況や社会状況に「なぜこうなってしまうんだろう。。。」と歯がみすることがとても多くなっています。

 特に最近のマスコミが為政者に対して「過剰な忖度(そんたく)」をし、権力者にたいして「いい子ちゃん」ぶっている気がしてなりません。

 この本を読んで、その原因が多分に(大人である)私たち一人一人の心理学的問題であることに気づきました。

 つまり「嫌われることを極端に怖れる心理」です。

 そのように考えさせられた文章がありましたので抜粋して引用します。

ほんとうの自由とはなにか

哲人 何度もくり返してきたように、アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。

 つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。

 しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。

 ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。

青年 なんですか?

哲人 すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。

青年 な、なんですって!?

哲人 あなたが誰かに嫌われているということ。

 それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

青年 い、いや、しかし・・・。

哲人 たしかに嫌われることは苦しい。

 できれば誰からも嫌われずに生きていたい。

 承認欲求を満たしたい。

 でもすべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自然きわまりない生き方であり、同時に不可能なことです。

 自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。

 そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。

青年 違う! 絶対に違う!

 そんなものは自由なんかじゃない!

 それは「悪党になれ」とそそのかす、悪魔の思想だ!

哲人 きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。

 家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。

 しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。 

 他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

 つまり自由になれないのです。

青年 ・・・先生は、わたしに「他者から嫌われろ」と?

哲人 嫌われることを怖れるな、といっているのです。

哲人 独善的に構えるのでもなければ、開き直ることでもありません。

 ただ課題を分離するのです。

 あなたのことをよく思わない人がいても、それはあなたの課題ではない。

 そしてまた、「自分のことを好きになるべきだ」「これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい」と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想です。

 ・・・もしわたしの前に「あらゆる人から好かれる人生」と「自分のことを嫌っている人がいる人生」があったとして、どちらか一方を選べといわれたとしましょう。

 わたしなら、迷わず後者を選びます。

 他者にどう思われるかよりも先に、自分がどうあるかを貫きたい。

 つまり、自由に生きたいのです。

青年 先生はいま、自由ですか?

哲人 ええ。自由です。

青年 嫌われたくはないけど、嫌われてもかまわない?

哲人 そうですね。

 「嫌われたくない」と願うのはわたしの課題かもしれませんが、「わたしのことを嫌うかどうか」は他者の課題です。

 私をよく思わない人がいたとしても、そこに介入することはできません。

 むろん、先に紹介したことをことわざでいうなら「馬を水辺に連れていく」ところまでの努力はするでしょう。

 しかし、そこで水を呑むか呑まないかは、その人の課題なのです。

青年 なんという結論だ。

哲人 幸せになる勇気には「嫌われる勇気」も含まれます。

 その勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう。

 この後、「叱ってはいけない、ほめてもいけない」「普通であることの勇気」など刺激的な章がたくさん続きます。

 自分自身の今までを実に反省させられました。

 と同時に、私もささやかな「勇気」をいただいたような感じがしました。

 実に、「読む価値あり」の本であります。

 さ〜! マスコミも私たちも、「嫌われる勇気」を持って、権力に媚びず、群れに埋没せず、爽やかに生きていきましょうよ!