高校時代のお笑い話をひとつ。夏にはまだ遠いんですけど、真夏の青春「ほでなす」物語です。
ちなみに「ほでなす」って馬鹿者という意味の宮城の方言です。
(昨年急逝したわが生物部部長清和田君への哀悼をこめて)
ノボ・アーカイブス
腰抜けビーチボーイズ
本当に「腰がぬけた」というお話である。毎年夏は、三陸の島々で三泊から四泊の海浜合宿をするのが、わが生物部の恒例行事だった。その年は、金華山のそばにある網地島に決定!
女川から船に乗って約一時間、島に着いたわれわれは堤防の近くにテントを幾張りもはった。堤防の海側には、波打ち際までがおよそ十メートルの砂浜が広がる。外洋になるのかな?少し波が高い。
顧問の先生も毎年ついてくる。海や山が大好きなのだ。今年も「ミトコンドリア」先生がついて来た。女性陣と一緒に。。え〜〜!実はこの先生けっこうもてる。常には苦虫めいた顔をしているのだが、その顔がいっとき微笑むと女性をとりこにするらしい。
この年ついて来たのは、図書館司書のお姉さん二人、理科の実験助手のお姉さん一人、購買のお姉さん一人の計四人!「お姉さん」とは書いてるが、あの頃「おばさん」といった方が似合う方も(数名いました・・・)
合宿の打ち合わせを理由に、お姉さんたちと市内の喫茶店で「ホットケーキ」と「コーヒー」をのんだときは、大人になった気がして、とてもどぎまぎしたものだった。なにせ「酒」と「タバコ」「パチンコ」その他軽犯罪は挑戦済みだったが、唯一「女性」だけはまだ謎の分野であった。
島でテントを張り終え、夕方になる。毎回女性と一緒に野外炊飯するのは至福のときであった。やがて島は暗くなり、波の音だけが今まで以上に高く聞こえてくる。いちおう昼間は海岸の生き物なんかの生態調査もしていた。泳いだり、ハイキングをしたりしながら。
さて合宿最後の日。かなり夜も更けた頃、「泳ぐべ」と一人が堤防を下りて海へ入っていった。多くの部員がそれに続いた。夜の海はとてもスリリングだ!でもわれらはみんな田んぼか山の子。海と砂浜の縁ではしゃぐ程度だった。
しかし、その晩はおおきな問題があった。実はみんな「酒」、それも安物のウイスキーを飲んでいたのだ!私の記憶も定かでないのだが、このとき先生や女性陣は一足先に帰っていたような・・・(そうでなければ退学だったろう)
さて、テントに戻ろうとした「いいだしっぺ」 しかし足がふらつく。防波堤は我々の背丈くらいあるのだが、そこをどうしても登れない。なんと、安ウイスキーで腰が抜けてしまったのだ!上から数名で何とか引きずり上げた。その晩はゲーゲーとうめく声が続いた。
次の日は帰る日。多くの部員が二日酔いとなった。さらに台風が近づき海は荒れてきた。帰りの船は欠航寸前だったが、一隻なんとか出すという。ところが、この船は外洋を進むので、海は大荒れ。まるでジェットコースターに乗っているような「地獄の遊園地」状態であった。
二日酔いのひどい仲間はまるで「地蔵さま」状態であった。二日酔いプラス船酔い。想像を絶する経験だった。私はあまり飲まなかった(飲めなかった)ので、まだ助かったが。
女川港に無事着いた私たち。若いってすばらしい。元気を回復し、今度はそのままバスを何度か乗り継ぎ、大田舎にあるクラブの部長の自宅に押しかけた。彼は高校には下宿して通っていたのだが、実家には二階建ての離れがあって、そこが彼専用の建物になっていると聞いていたからだ。
たちまち海から田んぼへの合宿に切り替わり、みんなその晩その部屋に泊まった。そして、またも酒盛りである。あの安ウイスキーで。
明くる朝、どういうわけか、みんなが早く起き出す。一様に具合悪そうな顔をして。その理由は「臭い」だった。彼の家は養豚もしていたが、その臭いのせいではない。泊まった部屋の窓の下から立ち上ってくる臭気・・・それは私たちがゆうべ一晩、胃から口から排出した分身の「臭い」であったのだ。
しかし、俺たちは懲りないな〜。大人になっても同じことをやっている。
(2012.6.12)