今日のこのブログで千話達成です!4年前の5月から休日以外無休でブログを書き綴ってきました。読者の皆さんありがとうございました。
偶然ですが、その千話目の今日は私の62回目の誕生日です!
なんか「天の配剤」のようでうれしいです。
つたないブログを読み続けていただいた方々に、あらためて心より感謝申し上げます。
今までは「毎日必ず書く」ことによって己を鍛える「修行」でもありました。
これからは「道楽」モードに切り替えようと思っております。
しばらく春休みをいただいた後、気が向いたときにまた不定期に書き続けようと思っています。
今日は「ノボ村長の開拓日誌」始まりの頃、懐かしき「初心」に帰ってみたいと思います。
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思い起こせば、3.11の悲劇があった年2011年5月18日にスタートした「ノボ村長の開拓日誌」です。
ブログを書きたい、書かねば、と思ったきっかけも「3.11」でした。
しかし、もうふたつきっかけとなった大きな事件があります。
それは「9.11」と「リーマンショック」です。
「9.11」「リーマンショック」「3.11」は私の三大トラウマとなりました。
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ちょうどその1年くらい前から、哲学的SF作家であるスタニスワフ・レムの著作を集中的に読んでおりました。
彼は、最後のSF長編『大失敗』で「人間の理性の限界」について書き、その後筆を折りました。
3.11の原発事故とその後の政治社会状況は、レムが(後期の)著作でモチーフとしたものと本質的なところでとても似通っていました。
レムの著作や評論はとても難解な文章ですが、それゆえ深い意味と味わいを持っています。
私は彼の本質的な問いかけを、ブログを書くことで自分の中で見つめ直したいという思いにかられたのでした。
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それとブログでみなに伝えたいな〜と思った本がもう二冊ありました。
ひとつはファンタジー作家ミヒャエル・エンデを慕う方々がまとめた『エンデの遺言』です。
『エンデの遺言』はリーマンショックの後読みましたが、大きなショックを受けました。
「利子」経済システムの根本的な矛盾や、そのなれの果てについて眼を開かされました。
今の世界をすべて「国家資本主義」と「民間資本主義」という同類としてとらえる観点も新鮮でした。
そして「利子」とは真逆の「負の利子」や「地域通貨」などの理論や実例にとても共感したのです。
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もうひとつは、農村に住む在野の哲学者、内山節(たかし)さんの『戦争という仕事』です。
内山節さんの『戦争という仕事』は、そのタイトルからして考えさせられます。
「戦争」も「経済活動」も、その目的、しくみ、進め方はみな似ています。
さらに「戦争」でさえ「仕事」であるのです。
「戦争」をなくせない理由の一つに、私たちの「仕事」との類似があるようです。
このような現代社会の中で、本来の「仕事」とはどういうものであろう、どうあるべきだろうという本質的問題について思索した本です。
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ブログはそんな小難しいことから書き始めましたが、千話への道のりの中で「詩もどき」やら「身辺雑記」やら下手くそな「ショートショート」やら、さまざまなスタイルでいろいろ書いてきました。
千話の道のりを越えてみてわかったことは、まず「自分の限界」ですね。
プロの物書きさんたちの力と苦労を思い知りました。
私なんか(この歳ですが)10年早い!って感じです。
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それと「人間の弱さ」みたいなものを強く感じてしまいました。
特に日本において、原発問題にみるがごとく、一人一人の思いとは逆方向に進む社会。
「どうにもできない」という無力感。
残念ながら、ブログを書き始めたころよりも幻滅感は強くなっている今日この頃です。
テレビも新聞も、なんか狼ににらまれた羊のようで、まったく見る気も読む気もしなくなりました。
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これからは、与えられる情報から距離を置き、自分の半径10メートルくらいの中で、生の新鮮な情報を得ていきたいと思っています。
そしてネットの「みんなの独創村」をリアル「みんなの独創村」に移行させながら、少しづつ野性の世界を自分に取り戻していこうと思っています。
これから時おり書くブログも、そんな人間くさく自然の匂いもするような記事を多く書いていきたいな〜と思っています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。