「他の連中は思考して、考えたことを吐露するという感じだけれど、ゲーテの場合は人生とか、人間とか、すべてを含んだ発言なんです。幅が広いから参考になるわけですよ」(水木しげるさん)『ゲーテとの対話』(エッカーマン著)を抜き書きしながら今日も「なるほどな〜」と納得のため息です。
「ゲーテの深い言葉」第4話を書きました。
とても常識的なことなのに、深く納得してしまう文章です。
ゲーテは彼が敬愛する同時代人バイロンの偉大さ、そして破滅的であった彼の末路についてエッカーマンと話しています。
岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p224
1825年2月24日「また、不断の反対と否定が、われわれの見ているように、すぐれた作品までも台なしにしてしまっている。
つまり詩人の鬱憤(うっぷん)が読者にもつたわるだけでなく、手当たりしだいに反抗していればどうしても否定的にならざるをえなくなり、否定的であることは、無に通ずる。
私が悪いものを悪いといったところで、いったい何が得られるだろう?だが良いものを悪いといったら、ことは大きくなる。
本当に他人(ひと)の心を動かそうと思うなら、決して非難したりしてはいけない。
まちがったことなど気にかけず、どこまでも良いことだけを行うようにすればいい。大事なのは、破壊することではなくて、人間が純粋な喜びを覚えるようなものを建設することだからだ。」
この日の話は、なんと!文庫本10ページにわたります。
バイロンの偉大な才能、彼の性質、彼の人生について、ゲーテはエッカーマンに滔々と語り続けました。
ゲーテのとても常識的に思える言葉は、「才能の発揮」について私が持っていた無意識の誤解を解いてくれました。
「常識的であることは偉大な才能の発揮をさまたげるものではない、むしろ才能に広い視野を与え、他人への影響力を強めるものである」と。
ただし、知性も想像力も創造力もなく、ただ常識的であるだけ、つまり「自分」がないなら、それは「衆愚」といわれるのものでしょう。
参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」