ゲーテ 「私の作品は一握りの人たちのためにある」

 『ゲーテと対話』(エッカーマン著)から珠玉の言葉を拾っています。今日はゲーテが「創作の目的」について語った言葉を書き写してみました。
 「ゲーテの深い言葉」第6話を書きました。

 ゲーテの作品を誹謗する評論家が多い中、カーライルが愚劣な誹謗に明快に反論したことについてエッカーマンは喜び、ゲーテに自身の感想を語りました。

 ところがゲーテはエッカーマンの感想とは反対の話をするのでした。

岩波文庫『ゲーテとの対話』中巻p42
1828年10月11日

 (エッカーマン)「カーライルは『マイスター』を研究しており、この書物の値打ちを十分知っておりましたから、これを一般に普及させたいと思い、教養ある人士が、みんなこの本から、共通のみのりと楽しみを手にしてほしいと思ったのでしょう。」

 ゲーテは私に答えるために、窓辺へ私を連れていった。

 「君は」と、彼はいった。「君にうちあけておくのだが、これはすぐにでもいろんなことに役に立って、生涯君のためになるはずだからね。

 私の作品は世にもてはやされるようなことはなかろう。そんなことを考えてみたり、そのために憂身をやつしたりする人間は間違っているよ。

 私の作品は大衆のために書いたものではなく、同じようなものを好んだり求めたり、同じような傾向をとろうとしているほんの一握りの人たちのためのものなのだ。」
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 そうだ、と私は考えつづけた。ゲーテのいう通りだ。彼ほどスケールが大きくなると、もう世間にもてはやされるわけがないのだ。(中略)

 彼の作品は、全体として見ると、世界と人類を奥の奥まで究めつくそうとして、彼の後につづこうとする観察者のためにあるのだ。

 また一つ一つをとりあげてみると、心の喜びと悲しみを詩人のうちに探し求める情熱的な享受者のためにあるのだ。

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 ゲーテは、別なところで「人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものだ。」(上巻p243)と語っています。

 読者の心情に関係なく、ただ多くの人に博めようとすることの無益さ浅はかさを諭しているように思います。
 
 また「偉大な先輩や同時代人に恩恵を蒙っているものの名を一つひとつあげれば、後に残るものはいくらもあるまい。」(上巻p242)とも語っています。

 ゲーテは、いかなる独創も世代から世代へ継承されてきたことのうえに成り立っていると語ります。

 ですから自分の作品も、人類文化発展の一段として、だれかに継承され続ければ本望であると考えていたのでしょう。

 文化、芸術を含む世界認識のすべてにおいて「歴史的な蓄積」「普遍的な人間性」「社会全体への寄与」という視野を常に持ち続けたゲーテ。

 「ゲーテとの対話」でその基層を理解しましたが、反面、彼の小説、紀行、戯曲のすべてにその視野があることを発見するのは、凡人の私にはかなり難しいことではあります。

 とはいえ、水木しげるさんが言うように、彼は真に「スケールが大きい人」であり、そこにゲーテの魅力があるのだな〜ということに、私も日々思いが深くなってきました。

  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」