あと二ヶ月くらいはゲーテの様々な著作を読むばかりになりそうです。ゲーテ二十五歳の作品『若きウェルテルの悩み』を読んで手帳に書き写した文章があります。
「ゲーテの深い言葉」第10話を書きました。
情熱の人ゲーテにとって女性はミューズ(女神)であったことでしょう。
そのミューズの数たるや、年譜で調べると10人にのぼります!
ゲーテの年齢とミューズの名前を一覧にしてみました。
1.十四歳 グレートヒェン
2.十七歳 ケートヒェン・シェーンコップ
3.二十一歳 フリーデリケ・ブリーオン
4.二十三歳 シャルロッテ・ブフ(ロッテ)
5.二十六歳 アンナ・エリーザベト・シェーネマン(リリー)
6.二十七歳 シャルロッテ・フォンシュタイン
7.三十八歳 マッダレーナ・リッジ
8.三十九歳 クリスティアーネ・ヴルピウス
9.六十六歳 マリアンネ・ヴィレマー
10.七十四歳 ウルリーケ(十七歳)
すべてが「お遊び」ではない全身全霊の情熱的な恋だったようで、ゲーテのハートの大きさ重さにただただ驚かされます。
青春の名作『若きウェルテルの悩み』は、四番目のミューズであるロッテとの自伝的な恋愛体験をもとにした小説です。
絶望的な恋愛小説でありますが、小説の持つ純真な情熱が読む人を引き込み、当時(十八世紀後半)大流行作品となったようです。
その内容と形式の斬新さに賛否両論がわきあがり、ウェルテルをまねて自殺する人も後をたたなかったと、この本(新潮文庫版)の解説に書かれていました。
この本を読みながら、私が手帳に書き写していた文章が二つあります。
後年のゲーテを彷彿とさせるような、示唆に富んだ文章をもう二十代から書いていたんですね〜。
新潮文庫『若きウェルテルの悩み』
7月20日えんどうを数えようとインゲン豆を数えようと、結局同じことではあるまいか。世の中のことは、どんなこともよくよく考えてみればくだらないのだ。だから情熱や自分の欲求からでもないのに、他人のため、金のため、あるいは名誉とか何とかのためにあくせくする人間はいつだって阿呆なのだ。
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8月10日
どうして君たちはそういきなりある事柄について愚かだの、賢明だの、善いだの、悪いだのといわずにはおれないのだろう。だけれどそういったところで結局どんな意味があるんだい。
前もってある行為の内面的ないきさつを調べてみたうえでの話なのかい。ある行為がなぜ起こったのか、なぜ起こらねばならなかったのか、その原因をはっきり説明してみせることができるのかい。もし君らがそういうことをやったら、なかなかもってそうあっさりと判断は下せまいと思うんだがね。
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ゲーテは晩年に『親和力』という作品を著しましたが、この親和力とは人と人との間に必然的に発生する「引力」のようです。(これから読むのでありますが)
傍目には単なる色恋沙汰のように見えることも、内面を深く考えれば一律のものではない。
なかには、自然の一部である「人間」どうしの必然的で純粋な出会いもあることをゲーテは作品で表現したのでしょう。
というよりも、体験を文学に昇華させることによってしか、ゲーテは失恋の絶望から逃れることができなかったのでしょう。
芸術は苦悩から生まれることを、まことに感じさせられる小説であります。
参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」