ゲーテ 「使い尽くすことのない資本をつくる」

 ゲーテはひどく不機嫌な渋面になりました。それはエッカーマンがドイツ文芸批評を執筆する契約についてゲーテに相談したときのことです。
 「ゲーテの深い言葉」第12話を書きました。

 ゲーテはエッカーマンに「けっして使い尽くすことのない資本をつくりなさい」と、強くうながしました。

岩波文庫『ゲーテとの対話』上巻p191
1824年12月3日

 それから、ゲーテは、このごろどうして暮しているか、なにを考え、どんな仕事しているか、と私にたずねた。私は、ひじょうに好条件で、イギリスのある雑誌に、最近のドイツの美しい散文の成果について毎月報告を送るようにと、例の申し出をうけたこと、進んでその申し出を承諾する気でいることを話した。

 その言葉をきくと、それまで親しげだったゲーテの顔は、ひどく不機嫌な渋面になった。彼の表情の一つ一つの動きを見ると、私の考えに同意できないということが十分読みとれた。「私は」と彼はいった、「君の友達が君をそっとしておいてくれるように望んでいた。どうして君は、自分の進路からはずれてもいれば、君の本性の方向にもまるで反しているようなことを、やろうとするのだ?(中略)

 文学といえども、同じことだ。君は、硬貨を評価することはできようが、紙幣は評価できないだろう。君はそういうことには、慣れていないからね。だから君の批評はまちがうだろうし、仕事をめちゃめちゃにしてしまうだろう。しかし、君が公正であろうとし、それぞれの特性を認めて、評価したいなら、その前に、現代の中堅どころの文学をも問題にしなければならないし、ほんのちょっと研究したぐらいではとてもすまない話だ。(中略)

 そんなことをしていると、君のなにより貴重な時間が毎日何時間もふいになってしまう。その上、多少とも突っ込んで紹介しようと思う新刊書があれば、ざっと目を通すだけでなく、それこそ勉強しなければならない。そんなことが、君の趣味に合うものだろうか!そして結局、君は悪いものが悪いとわかっていても、世の中全部を敵に回して戦う危険にさらされたくないなら、それを言うことすら許されないのだよ。

 「いや、今も言ったように、その申し出には断り状を書きたまえ。君の進路にふさわしくないのだからね。要するに、君は散漫にならぬよう注意して、力を集中させることだよ。私にしたところで、三十年前にこれだけの賢明さがあったなら、まるっきり別の仕事をやっただろう。(中略)

 もちろん、才能のある人間は、他人がやっているのを見ると、自分にもできると思いこむものだが、じつはそうではない。いずれ自分の濫費を後悔する破目におちいる。」

 「重要なことは」とゲーテはつづけた、「決して使い尽くすことのない資本をつくることだ。君のすでにはじめている英語とイギリス文学の研究において、それが得られるだろう。その仕事に自分を打ちこみたまえ。(中略)

 もう一度くり返すが、英語をしっかり身につけ、有用な仕事に力を集中して、君にとってなんの成果にもならぬこと、君にふさわしくないようなことは、すべて放棄したまえ。」

 私は、ゲーテからここまで話が聞けて、嬉しかった。気もすっかり落ち着いて、何事も彼の忠告にしたがって行動しようと決心した。

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 ショーペンハウエルはゲーテをとても尊敬していました。

 彼の毒舌が冴えわたる著書『幸福について』では、ゲーテの言葉や詩の引用しまくりです。

 その中に、こんな文章がありました。

 「対外的な利益を得るために対内的な損失を招くこと、すなわち栄華、栄達、豪奢、尊称、名誉のために自己の安静と余暇と独立とをすっかり、ないし、すっかりとまではいかなくてもその大部分を犠牲にすることこそ、愚の骨頂である。けれどもあえてこれをなしたのはゲーテであった。私個人は、自分の本性のままに断固として別な道をとってきたつもりである」

 エッカーマンに強く諭したのは、ゲーテ自らの悔恨ゆえであったのでしょう。

 ゲーテを愛し、ゲーテから大きな影響を受けた哲学者はショーペンハウエルとニーチェと言われています。

 ニーチェの『人間的、あまりに人間的』が、偶然押し入れから出てきたので、巻末の人名索引を見たらゲーテの引用がダントツでした。

 ゲーテとは正反対の風貌と性格を持つ二人のようですが、実は古代ギリシア文化への畏敬と情熱など、深いところで似たところが大いにあるようです。

 彼ら二人はゲーテの教えを忠実に守り、よけいなことをせずに自分の哲学を探求したがゆえに、後世に残る 「使い尽くすことのない資本」をつくりえたのでしょう。

 たぶんゲーテつながりゆえに、水木しげるさんもこの二人の本を読んだんですね、結果、ゲーテのほうが「ひとまわり大きい人間」であると、彼は感じたそうです。

 「少年老い易く学成り難し」という格言があります。いわんや老年をや。。。の心境です。
 
  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」