ゲーテは、年齢つまり知識や経験の量が「賢明さ」と比例するわけじゃない、いくつであっても「己の純粋な感性に従う」ことが大切と語っています。彼は過去の自分の作品をそうとは知らずに読んで感動したこともあったそうです。
「ゲーテの深い言葉」第17話を書きました。
この文章で、ゲーテは若い人(文中ではエッカーマン)を励ましているように思えます。
「知識や経験の量でひるんだり、小賢しくなったりしちゃいけないよ、自分の素質や感性を信じて、まっすぐど真ん中へ投げるのが大切さ!」と。
「若さ」とは「精神の新鮮さ」を言うと思いますので、老いも若きも同じく励まされているということですね。
岩波文庫『ゲーテとの対話』中巻p295
1831年2月17日「人はいつも考えているものだよ」とゲーテは笑いながらいった、「利口になるには年をとらねばいけないとね。だが実のところ、人は年をとると、以前のように賢明に身を保つことはむずかしくなってくる。それぞれの年代でたしかに変わってはくるけれど、だからといって、いっそうよくなるとはいえないものだ。事によっては、二十代と六十代でも、どっちが正しいと言えない場合もある。(中略)
ある立場に立てば、世界の一角は他の立場におけるよりもよく見えるだろうが別の立場より正しいなどということはできない。そのために作家は、自分の人生のそれぞれの年代に記念碑を遺そうとするならば、生まれつきの素質と善意を手放さないこと、どの年代でも純粋に見、感じること、そして二次的な目的をもたず、考えた通りまっすぐ忠実に表現すること、それがとくに大切だ。そのようにして彼の書いたものが、それが書かれた年代において正しければ、いつまでたっても正しいものとして通用するだろう。たとえ作者が後日、自分の思い通りにどのように発展し、変化しようとも。」(中略)
「最近、反故(ほご)が一枚手に入ったが」とゲーテはつづけた、「それを読んで私は、うむ、とひとり言をいった。ここに書かれていることはそんなに悪くない、おまえだって考えることは同じようだし、これ以上のことは言えはしまいと。だがその紙片を良く調べてみたら、なんと私自身の作品の一片だったのだ。私はいつも前進しようと努力しているので、自分で書いたものも忘れてしまうのだが、それでいつの間にか自分のものがまったく別のものに見えてくるような場合もあるのさ。」
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人はだれでも「自分の人生」という本の著者ですから、文中の「作家」という文字は「私たち」と読み替えるのがよいと私は思っています。
参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
→ゲーテ「趣味について」
→ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
→ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
→ゲーテ「相手を否定しない」
→ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
→ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
→ゲーテ「好機の到来を待つ」
→ゲーテ「独創性について」
→ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
→ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
→ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
→ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
→「経済人」としてのゲーテ
→ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
→ゲーテ「想像力とは空想することではない」
→ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
→ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
→ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
→ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
→ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
→ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
→ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
→ゲーテ「個人的自由という幸福」」
→ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」