ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」

 「私は作家という天職に就いているが、大衆が何を求めているかとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。」とゲーテは語りました。彼がめざしたことは「自分自身の人格内容を高める」ということだけでした。
 「ゲーテの深い言葉」第22話を書きました。

 自立した個人が多ければ社会の幸福は増えていく、政治よ、法律よ、自立した個人の喜びを妨げることなかれ! というゲーテの個人主義に共感します。

 ゲーテは政治の中枢にもいましたが、政治家にありがちな偏狭な党派性(国家・民族主義)も急進主義(革命)も、とても嫌っていました。

 彼の拠って立つところは、国家とか民族ではなく「人間」でした。

 それは「観念としての人間」ではなく、「一人ひとり自立した人間」でありました。

 それゆえ誤解を受けやすく、「利己的」だとか「非国民」だとか、ののしられることもけっこうあったようです。

岩波文庫『ゲーテとの対話』下巻p359
1830年10月20日

 ゲーテはサン・シモン主義者について私の意見を求めた。

 「彼らの学説の主な方向は」と私はこたえた、「各人が自分の幸福を築くための不可欠な条件として、全体の幸福のために働かねばならないということのようです。」

 「私の考えでは」とゲーテはこたえた、「誰しも、自分自身の足元からはじめ、自分の幸福をまず築かねばならないと思う。そうすれば、結局まちがいなく全体の幸福も生まれてくるだろう。

 とにかく、あの説はまったく私には非実際的で実行できないことのように思うね。あれはあらゆる自然、あらゆる経験、数千年来のあらゆる事物の歩みに逆らうものだ。もし、めいめいが個人としてその義務を果し、めいめいがその身近な職業の範囲内で有能かつ有為敏腕であるなら、全体の福祉も向上するだろう。
 私は作家という天職に就いているが、大衆が何を求めているかとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。それどころか、私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格内容を高める、さらに自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった。
 もちろん、これが広範囲に影響を与え、かつ貢献したことを、私も否定するわけではない。しかし、これは目的ではなく、自然力のあらゆる作用の際におこるように、まったく必然的な結果だったのだ。(中略)

 (エッカーマン)「しかし、たんに個人として自分だけで楽しむ幸福ばかりでなく、国民として、つまり大きな全体の成員として享受する幸福というのもあります。もしも、国民全体のためにできるだけの幸福を達成することが原則になっていないとしたら、法律というものは、何を根拠として出てくるのでしょうか!」

 「君がそういうことをいいたいのなら」とゲーテはこたえた、「私も、もちろんいささかも反対しないよ。しかし、もしその場合、君の原則を利用できるのは、ほんのひとにぎりの選ばれた人たちだけだろうね。それは君主や立法者の心得にすぎないだろう。

 そのばあいすら、私には法律というのはいい気になって幸福の量をふやそうとするよりは、弊害の量を減らそうと努めるべきだ、と思われるのだがね。」(中略)

 私の言わんとする肝腎なことを、端折っていえば、こうだよ。父親は家のために、職人はお得意先のために、牧師は人間同士の愛のために、力を尽くせ! そして警察は、われわれの喜びをさまたげるな! ということさ。

・・・・・・・・

 現代政治にもそのまま通ずる言葉です。

 自立した個人が少なくなると、「国家」という強大な観念に己を重ね合わせ、救いを求めようとする人が増えてきます。

 政治家の多くは、そのような状況を利用して、自分たちのいわば「職場」である国家の権力を強めようとします。

 全体主義的な政治は、やがて対外的な「国民的憎悪」、つまり「戦争を生む感情」をつのらせていきます。

 これは善悪の問題ではなく、われわれの持つ傾向であり、克服しようと努めるべきことです。

 ゲーテは次のように語っています。

 「もし自分の生まれつきの傾向を克服しようと努めないのなら、教養などというものは、そもそも何のためにあるというのかね。」
 さらにこのようなことも。

 「国民的憎悪というものは、一種独特なものだ。(中略)文化のもっとも低い段階のところに、いつももっとも強烈な憎悪があるのを、君は見出すだろう。」

 自立した個人が少なくなると「国」は弱っていきます。逆に「国家」は強く(強そうに)なっていきます。

 自立した個人は「自分自身を高める」という意志を持っています。

 どんな職業の人でも「自立した個人」として自らの幸福を創り出していくことができます。

 そのために「教養(知性)」が必要なのだ、とゲーテは教えてくれます。

 多くの人が「自分の幸福」を「金頼み」「人頼み(国家頼み)」にしたとき、まちがいなく国の貧困と戦争が近づくのでしょう。


  参考→「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」