ショーペンハウエル「悩みは幸福の尺度である」

 人の心には「お悩み専用のコップ」があるんだなと思えてきました。そのコップには常になんらかのお悩みが入っていて、決して空になることはないんです。
 
 認知症の父がまたも。。。ということがあって、気持ちがイライラしてしまいました。

 すぐムキになってしまうのが私の悲しき性(さが)でして、自分でも嫌になります。

 これじゃだめだな、と反省しつつ、かつて手帳に書き記していたある箴言を思い出しました。


ショーペンハウエル『幸福について(筆のすさびと落ち穂拾い)』より

 ある人の状態がどの程度に幸福であるかを測ろうとするには、その人がどういうことを楽しんでいるかを問うよりは、どういうことを悲しんでいるかを問うべきだ。

 些細なことに敏感になるには、万事好調の状態にあることが前提条件となるものであって、不幸な状態にあれば、些細なことは全然感じないはずだから、

 悲しんでいる事柄がそれ自体として取るに足りないことであればあるほど、それだけその人間が幸福なのである。

 この箴言を思い出したら、とても気持ちが鎮まりました。

 もし自分が大病など患っていたとしたら、今カリカリしていることなど、どうでもいいと思うだろうな〜と。

 些細なことで悩む自分は何と幸せなのか。。。

 逆説の幸福論です。

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 さて、この箴言を書いたショーペンハウエルはゲーテの大ファンでありました。(ゲーテより39歳年下です)

 この本(邦題「幸福論」)を読めば、引用したゲーテの言葉の多さに誰でもびっくりするはずです。

 私がとても不思議に思うのは、「意地悪じいさん」のショーペンハウエルと、「マッドマックス哲学者」のニーチェという、いかにもゲーテとは正反対の性格であるお二人が、なにゆえとてつもないゲーテ崇拝者であるのかということです。

 いつかなるほどと思えたときに、それをテーマにしたブログを書いてみたいと思っています。

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 同じ本の中に、ゲーテが『親和力』に書いたこんな言葉が引用されていました。

 「災厄を逃れようとする者は、ともかく自分の欲するところを自覚した人間だが、現在持っているよりもましなものを望む人は、全くのそこひ盲だ」
 さらにこんなフランスのことわざも書かれていました。

 「もっと良いものが、良いものの敵である」

 悲しみのお悩みどころか、もっと良いものをと常に渇望するお悩みもあり。

 常に何かのお悩みで満たされている「お悩み専用のコップ」こそ、古今東西変わらぬ「人間の本質」だ、ということでしょうかね〜。

 そこから最後に解放されるのが「ボケ」なのかもしれません。

 水木しげるさんは亡くなる一ヶ月前、このように語っていました。

 水木しげる『ゲゲゲのゲーテ』より

 「年をとると、ボケるからいいんです。80歳を過ぎるとなんでも平気な感じになってくる。鈍感になったというより、細かいことを気にしなくなるわけです。

90歳をすぎたいまは別にモンダイみたいなものはなく、ボケも手伝って至福の状態にあります。無のような感じです。ほんとうの幸せは、ボケんと手に入らんかもしれんね。

 実に考えさせられる言葉です。そのとおりかもしれないが、そうなりたくない気持ちも強くて。。。

<ショーペンハウエル爺さん関係の過去ブログ>
 毒舌幸福論「人は変わりようがないのさ」
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 睡眠は死への利息払い
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 超訳「毒舌幸福論」
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