画廊にいた頃の出来事

 様々な職種を経験した私は二十代後半に画廊に勤めたことがあります。その頃ほしかった「島田章三」の作品(若い私には高くてとても買えませんでした)を最近ネットオークションで得ることができました。壁に飾って眺めていると仕事人生の青春時代を思い出します。なんとなくその頃のエピソードを話したくなりました。


(F8号)


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 20代後半の頃私は仙台の画廊に勤務していました。たった2年間でしたがとてもいい経験をさせてもらいました。その頃の思い出話を少し。

 私は絵を描くことはあまり上手じゃないんですが、一枚の良い絵は百冊の本に値すると感じていました。絵は人の直感に働きかけ、すべてを一瞬にして理解させる力を持つ芸術だとずっと思っていました。その究極は「曼荼羅」ですね。これは全宇宙を顕しているわけですから存在するすべての本以上ということになるでしょうか。

 それに感じる器官が他と違います。それは末梢神経ではなく背骨や下半身、背中です。本当にいい絵を見ると背中がゾクゾクとしてきます。生命力あふれる絵に出会うと下半身があったかくなってきます。

 私が勤めていた画廊は、私が入ったときは数人の小さな店でしたが本格的な絵画を扱う店でした。東京の有名な交換会で絵を競り、それを客(コレクターが主)に訪問販売する業態でした。ですからギャラリーは飾りで、営業は夜が更けてからが基本でした。だいたい決まるのは夜中ですね。高額ですし、絵に感情移入するまでが長いので。

 私はぺーぺーでしたので社長の運転手とか荷物運びとかが多かったですね。毎晩夜中までですよ。週に1回は東京までノンストップで運転手です。売りはじめてからは気負いもあって無理な押し売りみたいになってしまい、その辺は今でもひきずってます。

 私がやめてからこの画廊はバブルにのって急成長しました。銀座に店を持ち、大手デパートの横浜店、札幌店への納入を一手に任されました。しかし、その後のバブル崩壊でそのデパートともに倒産してしまいました。

 さて思い出話をひとつ。「絵という悪魔に魅入られた人」というテーマがふさわしいかもしれません。私が仕えた社長の修業先は日本橋三越の隣にあり、日本画では当時日本で二番目の売上を誇る高級画廊でした。

 といっても画廊という商売の中身は交換会で仕入れ全国のコレクターを回る、ある意味過酷な行商です。仕入れる作品は原則としてたった一人のコレクターにだけ向けるものです。買う人いませんか?というセールスではないのです。画商とコレクターの1対1の勝負なのです。

 もし絵が客に入らなかったら次の交換会に出品します。交換会はピンキリで十数カ所あり作品により交換会を選びます。ところが一回の交換会で多いときには百点も出品されるのですが、参加業者には「ハタ師」とよばれる交換会だけの売り買いで利ざやを稼ぐ商人もいて、彼らはあの作品はだれがいつどこで落札した物だということをみんな覚えているのです。ですから再度交換会に出すと買いたたかれます。そこで一気に何百万も損することはざらです。

 高級絵画の交換会に参加する資格を得るには保証金やら有力画商5人の連帯保証を必要としたりします。ですから客よりも同業者間の信頼を得るほうが大事な、ある意味封建的な社会なのです。それと画廊というのは売るのが半分、コレクターから探して買うのが半分なんです。ですから売る能力のまえに目が肥えてないとできないんです。大きな金額ですからね。

 そんな過酷な仕事を修行として、タトウ(絵を入れる箱)を包んだ風呂敷を日々かかえて何年も仕え、いつか修業先から独立して店を持つわけですが、修業先の社長は絶対で終生「オヤジ」とよばれ親分子分の関係が続きます。

 ある日の夜中、社長(私が仕えた人)にオヤジから電話が入りました。「えいじ(社長の名前)か?今会津にいる。いい物を見つけた、今からすぐ一千万現金でもってこい。おれが持ってる一千万でたりないんだ」

 社長は「ハイ、わかりました・・・さっそく出発します」といって、常に用意してあるゲンナマを持って夜の高速を飛ばしました。

 その絵は須田国太郎という玄人好みの洋画家の傑作「烏(カラス)」の絵でした。(たぶん他にも良い作品があってまとめて買おうとしたのでしょう)

 オヤジは須田国太郎にずっと以前から魅入られていたのです。この作家の作品を見つけると金も、極端にいうと人の命さえ関係ないという、彼自身が病的な(?)コレクターでもあったのです。

 もっと病状が進むと、画商なのに自分が惚れ込んだ絵は売りたくないという意識が生じてきます。それでは食えなくなるので、目利きの金満コレクターに一時保管場所のようにして販売の形態をとりつつ預けるのです。次にいい作品が入ったらその作品と交換します。

 こんな商売をしていたらいつかは破綻します。ここも例外ではありませんでした。大変な負債を抱えて倒産しました。その次の日、本当の話なんですが、そこの番頭をしていた(偶然高校の先輩でした)鈴木さんという方が一夜にして髪が全部抜け落ちてしまったのです。びっくりしました!私が勤めていた画廊でも貸していた絵が流れ5千万がパーになりました。

 ところが絵に魅入られた人はそんなことはどうでもいいんですね。しばらくしてからひょっこりヌ〜と現れ、「エイジ、いい絵が見つかった。金用意してくれ」と何のてらいもなく言うのです。その場にいた私はゾッとしました。ところがこんな仕打ちをされても社長はムスッとした声で「はいわかりました・・・」と言ったんです。私にはとてもついて行けない・・・

 このオヤジが魅入られた須田国太郎の代表作が東京国立近代美術館にあります。ずっと後にその絵を見た私はびっくりしました。その絵の暗い背景にぼんやりと浮かび上がる顔はオヤジそっくりの風貌だったのです。