なるほど!ここが世代間ギャップのツボだったんだ、と妙に納得がいったグラフと出会いました。
先日フェイスブックでこんな資料があることを知りました。
→「不安な個人、立ちすくむ国家」 〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜 平成29年5月次官・若手プロジェクト
その中にあったグラフ「新入社員の働く目的」を見てなるほどと納得しました。
私たちが新入社員だった頃の意識(1970年代)と現代の新入社員の意識との間には深い川があったのです。
私たちが社会に出たのはもう40数年前、昭和50年〜昭和54年頃です。
その頃「新入社員の働く目的」の一番は、なんと「自分の能力をためす」だったのです。
そして現代においてもっとも下がった目的もそれなのです。
これこそ「ジェネレーションギャップ」のもとにちがいないな〜、と感じたのです。
しかし、どういうわけか、それを表すグラフの線は一番目立たないし、他の要因に付けられたような矢印もコメントもありません。
分析者は一番大事なことを見逃しているのではないかと思ってしまいます。
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オヤジを通り越してジジイとなってしまった私たち世代が「今の若者は。。。」というのはまさに老害でしょう。
そうはわかっていながら、「自分を試そう」「自分をぶん投げてみよう」「壁にぶつかってみよう」という意識が若者に少なくなってきたことに寂しい気持ちを禁じ得ません。
なぜこんなふうに変わったのか、残念ながら私にはわかりません。
初老となった自分にそういう情熱が消えかかっているからこそ、代わりに若い人にそれを期待しているのかもしれません。
ただなんとなく想像するのは、真似したい兄貴分が少なくなったからじゃないかな〜ということです。
私たちが若い頃は、身近にパワフルでまぶしく面倒見のよい先輩がたくさんいました。
今はそういう頼れる兄貴という存在がとても少なくなってしまったように思えます。
まぶしい存在はあっても、それはIT界の世界的な超成功者だけというような単調な時代となりました。
そういうところから来る隔絶観によるあきらめと、KYを厭う過度の同調性が「自分の能力をためす」という目的を絶滅危惧種にしてしまった様な気がします。
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それと昨日同世代の会社経営者たちのミーティングで出た話ですが、今地方の小さな製造業が大変らしいのです。
仕事はあっても人が集まらず仕事を断らざるを得ない、仮に人が入ったにしても熟練工が不足でこれまた大変とのことでした。
ハローワークはいつも職探しの人でいっぱいらしいのに、求人難も深刻。。。
つまり「自分を変えずに、ほどほどの仕事をしたい」という人が多いということのようです。
今が昔だったら、なんてうらやましい社会だろう、と思うに違いありません。
現代の仕事の現実はなんとも複雑です。。。
若き日「自分の能力を試す」ことに情熱も傾けた世代がこれではとても情けないことではあるな〜と思いつつ、現代政治や社会の変化にとまどい、自らの無力感が日々増大する最近の私です。