背広姿でプチ登山

 今日、宮城県は超快晴! 船形山、禿岳、栗駒山は、青空を背景にそのたおやかな稜線をくっきりと見せてくれました。股関節が悪くなったとはいえ、40年前まで大の山好きだった私です。車のハンドルは無意識に禿岳(かむろだけ)に向けられていました。
 来年退職予定の私ゆえ、仕事はだいたい午前中に済んでしまいます。

 仕事以外の目的が何かあるときにはとてもありがたい境遇です。(実は目的があまりないのが悩みでもありますが)

 道の駅「あら伊達な道の駅」でおにぎり、焼きそば、麦茶を買って、鬼首(おにこうべ)にある禿岳へと車を走らせました。

 ちょうど正午、禿岳稜線コースの登り口「花立峠」に着きました。

 数台の車があります。きっと稜線のどこかを歩いているのでしょう。

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 話は少しさかのぼります。

 実は昨年秋以来(秘かに?)大それた夢を心の中であたためていました。

 それは、私が10代後半から20代前半まで様々なルートから何度も登った思い出の山「船形山」に再登頂したいというものです。

 その思いが生じたのは、昨年秋、若き日に東根方面から登ったとき出発点にした無人の山小屋「柳沢小屋」を(車で林道を通り)訪れたときでした。

 いろりのある粗末な畳の部屋を覗いたとき、若き日の追憶がどっと押し寄せたのです。

  →山の優劣

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 日頃の私の歩き具合を見ている人は何を馬鹿な!と思うことでしょう。

 生まれつきの股関節の不具合が50歳頃から徐々に症状が重くなって今に至り、歩くのもしゃがむのもとても難儀です。

 ところが、平地を歩くより起伏の多い山道を歩く方が楽だな〜ということを、時々行く鹿島台の「いこいの森」を散歩しながら感じていたのです。

 頂上まで一番近い色麻コース(若いときは登り2時間半くらい)なら両手にノルディックポールを使って、荷物さえなければ何とかなりそう、と踏んだのです。

 ためしに、はじめから稜線歩きの禿岳でどれだけ行けるか試してみようと昨年から思っていたのです。

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 さて、背広姿に革靴、ノルディックポールを両手でついて山道を登り始めました。

 数歩すすめてすぐ、何ともいえない充実感とワクワク感が心身にわきおこりました。

 最近うつ気味で塞ぐ日々が多い私にはとてもうれしい感覚でした。

 西に月山、葉山、南西に朝日連峰、その奥に飯豊山、東は荒雄岳や鬼首全体を一望にしながら爽やかな風に汗をとばされ、快適に歩きます。

 たった十数分後、ケルンのある小さな丘に着きましたが、ここは昼飯を食べるのにとてもいい場所です。

 そこで、もと来たところへ引き返し、途中道の駅で買ったおにぎり、焼きそば、麦茶の入ったビニール袋を持ってまた同じ場所へと登り始めました。

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 絶景を見ながら、大自然の中でただひとり食事を楽しむということは何と贅沢なことでしょう。

 と、その時、熊よけの鈴の音がします。

 登ってきたのは私より少し年上らしい男性でした。

 二人で遠くに見える山の話などしましたが、そのうちこの方は新潟から来た方で、この時間までに近くの山を三つ登ってきたとのこと、さらにここを下りてから虎毛山近くの高松岳に登る予定とのこと、一日5座!たまげてしまいました。

 私はといえば、(まことに恥ずかしながら)今日はここまで。。。

 近いうちに写真の右上にある峰まで登るぞ、と心に決めました。

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 40数年前にはこの山も違ったコースから3度か4度登っています。

 その最初の登山で一緒に登った同級生の一人は三年前亡くなりましたが、ふとあの頃のことを思い出し切なくもなります。

 しかし、山の思い出というものは、歳を取りどんどん世間ずれしていく凡夫にとって実に清新で貴重なものです。

 それに、山登りをすると計画性や用心深さが身につき、自然の「雄大さ」「美しさ」「多様さ」「過酷さ」とともに「人間の小ささ」にも気づかされます。

 ですからわが孫たちも山登りを好きになってくれればいいな〜と思ってしまいます。

 ということで、ほんとに恥ずかしいほど少しばかりのプチ登山について書いてしまいました。