企業にも顔がある

 「千と千尋の神隠し」に出てきた「カオナシ」はとても衝撃的でした。人も会社も「カオナシ」だらけになってきたのでは?と感じたからです。
 昭和20年代生まれの私たちが小学生の頃、世はいわば「三丁目の夕日」時代でした。

 会社勤めの人はまだ少なく、どの町にも様々な自営の店がたくさんありました。

 野菜や果物をリヤカーで行商する農家もとても多い時代でした。

 私の生家の百メートル以内にあった店を思い出してみると。。。

 食料品店、肉屋、魚屋、米屋、酒屋、自転車屋、中華そば屋、寿司屋、時計屋、ばばこ屋、産婆、薬屋、本屋、貸本屋、郵便局、電機屋、カメラ屋、おやき屋、医院、農家、桶屋、建具屋、大工、タイル屋、文房具屋、お寺、床屋。

 かくいう私の家も母親が小さな食料品店をやっていました。

 やがて高度成長時代が始まり、サラリーマンとスーパーマーケットが急激に増えたのと逆比例して、自営の店は次々と消滅していきました。

 それとともに地域社会の様々な「顔」も失われていった気がします。

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 自営のお店が多い時代の良かった点は、互いに顔を見せながら対等のお付き合いをしていたということです。

 たとえば肉屋は肉の売り手でありながら、魚屋から魚を、八百屋から野菜を買う買い手でもありました。

 あらゆる人が同じ地域での売り手であり、かつ買い手である社会でした。

 そこに無意識的に発生したモラルが「信用」と「協調」です。

 店主や家族の「顔」が信用の証でもありました。

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 今はどうでしょう。(極端な例をあげてみると)

 昼はサラリーマンとして、会社という壁の後ろで顔を見せずに「誠にもうしわけございません。貴方様におかれましては。。。」と慇懃無礼な馬鹿丁寧さで米つきバッタのごとく。

 自宅に帰ってからは、些細なことでモンスター(クレーマー)に変身。

 ネットや電話で「アンタの会社どうなってんの?どうしてくれんの?」と会社という壁にぶっつけほうだい。

 どちらも顔が見えない、見せない、「カオナシ」の会話のようです。

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 私は、昔の自営の社会の良さを現代の会社社会にも取り戻すべきと常々思っているんです。

 つまり「経営者は自営の精神で、サラリーマンは職人の精神で」

 もっと進むと「すべての人がみんな自営の精神で」

 そのためにまず、会社のトップは店主としての「自分の顔」、つまり「人格」を磨いていかないといけないな〜と思うのです。

 実はこのことこそ「究極のブランディング」と言えるのではないでしょうか。

 これは(任期少ない)経営者としての自戒の言葉でもありますし、後輩たちにぜひ遺したい言葉でもあります。

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 このシリーズは脚本:私ノボ村長、絵:同級生ゴリランジェロ氏のコンビで作成しております。






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