ショートSF「思想販売会社」

 遠い遠い学生時代。書店の本棚を眺めているとき、ついこんなことを考えたものです。「どの思想を選ぼうか?」。そして少しやましい気持ちもしたものです。「服を選ぶように自分勝手に選んでいいものか?」と。
 真理や真実を求めているように思いながら、人はまるで服や食事を選ぶように、実は「思想」を選んでいるのかもしれません。

ショートSF

 思想販売会社

 駅のホームにあるベンチで私は新聞をひろげていた。

 午後のこの時間、乗降客はとても少ない。

 私に近づいてきたその男は、黒い帽子に黒いコートで、さらに黒いカバンを手に持っていた。

 落ち着いた足取りで歩いてくる。

 陰気さとともに、なにか威圧感というか、濃い存在感を感じさせる人物であった。

 その男は静かに私の隣に座り、まっすぐ線路を向いたまま、まるで独り言のように新聞を読んでいる私に話しかけた。

 「その政治家には私が思想を販売したんです」

 「えっ?」私は男のほうに首を向けた。

 そして紙面に目を戻した。紙面には今を時めくある政治家の写真がアップで載っていた。

 (この黒ずくめの男はいったいだれだ?新聞を見もしないのに私が見ているものがわかるとは?不気味だ)

 この日、この時からだった。

 私がこの世の重大な秘密を知ったのは。

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 男は話を続ける。

 「人、特に男性は思春期になるとバイクや車をほしがるように思想をほしがるようになるのです。まるで女の子たちが自分に似合うファッションを選ぶように」

 電車がくるまでの十数分、私は彼が低い声で訥々と話をするのを興味深く聴いていた。

 「みんな『鎧』がほしいんですよ」

 「ファッションだって、車だって、ほら、どれも自分の身を中に入れる『鎧』でしょう。そうは思いませんか」

 ふふふ、と少し不気味な薄笑いをして彼は黒いバッグからアルバムらしきものを取り出した。

 彼はまるで(おまえも見たいんだろう)と挑発するように、私に見える位置でそのアルバムをパラパラとめくりはじめた。

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 「私がこの仕事をやるようになってからの写真なんですがね。びっくりなさるだろうけど、私の仕事というのは実に古いものでしてね。。。」

 最初のほうにあったのは、セピア色にやけた白黒写真や古い紙に描かれた線画だった。

 一枚のセピア色の写真に写っている人物を、私は何やら見たことがあるような気がした。

 画帖を小脇に抱えたドイツ系の画学生らしき青年、一見ハンサムだが、その表情は鬱屈した心境を隠すべくもなくこわばっていた。

 あっ! 彼にもしあの髭を付けたら?(ナチス。。。)

 和紙に墨で書かれた素描もあった。

 なにやら幕末の志士のような気がする。

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 アルバムには現代の有名人の写真も多数あった。

 彼は私が興味を持ち始めたことが嬉しいらしく、さらに話を聞かせてくれた。

 「実はこれも商売でしてね〜。一人ひとつの思想販売だけじゃ続かないんですよ。それで先祖代々という継続がビジネスの秘訣なんですよ」

 私はたずねた。「それって先祖伝来とか伝統とかっていうものですか?」

 「そのとおりです。特に政治家って職業は思想が祖父、父、息子と三代にわたるのが標準セットでして、この国の今の政治家を見ればよくわかることでしょう」

 私は思わず「なるほど」とうなずいた。

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 男は遠い昔を思い出すようにして、ホームの向こう側に広がる冬空を見上げながら言った。

 「因果な商売ですよ。いつも一番売れるのは「誇り高き思想」です。単純で力強くてすぐハイになれる。強烈な覚醒剤ってとこですな。ところがこれが曲者で、興奮しすぎて現実世界がすぐにきな臭なってしまう。。。」

 私は「それで何か商売に悪影響が出るんですか?」と尋ねた。

 男は語った。「大ありですよ。現実が戦争やら大恐慌やらになってしまうと、だれも思想を手っ取り早く買おうなんて思いません。真実の思想は経験から生まれるもんですからね。出来合いの思想もどきなどに価値を感じる輩、つまり私の客は激減ってわけですよ、はい」

 私は尋ねた。「ところでお代はどれくらいなんですか?」

 彼は「お代はお金じゃないんです。買った人の精神エネルギー、つまり考える力を頂戴しているんです。買った本人も悩むことがなくなるのでWINWINってわけですよ」

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 と語り合っているうちに電車が見えてきた。
 
 男は黒いバッグにアルバムを戻し、乗車の準備をはじめた。

 私は男に行き先を尋ねた。

 男はうす笑いを浮かべて「言わなくてもわかるでしょう。自然が乏しくて、目立ちたがりや、政治家、成り上がり、自惚れやが集まる場所ですよ」と語った。

 電車がホームに入り、私も男の後に並んだ。

 男は乗車しようとするそのときに、そっと私に耳打ちをした。

 「私が誰かって?そう思っているでしょう。私はほら、あなたも読んだことがあるロシアの文豪Dの小説に出てくる『大審問官』の末裔なんですよ。今風に言えば私ども一族なりの人助けビジネスなんです。宗教とはチト違いますがね。」

 乗車後、客車へ進んだ彼を私は目で追ったが、どうしても見つけることができなかった。

 車窓を眺めながら私は自問した。(私もあの男から思想を買ったことがあるのだろうか?)

 彼はこうも言っていた。「実は思想を買った人間は、自分が買ったことを覚えていないんです」

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