ゲーテ「複式簿記」の重要性を語る

 甘酒効果でやる気が出てきたので、かねて私の宿題であった社内研修用「図解簿記テキスト」の作成を再開しました。今も昔も、世を動かすのは「正義」より「経済」のようです。それゆえ本当の世界共通言語とは、経済を語る「簿記」であるといえるでしょう。
 私は必要があって30代半ばで簿記を勉強しました。

 それまで簿記というのは、女性事務員さんが行う「帳簿つけ」程度にしか認識していませんでした。

 ところが簿記(つまり財務諸表のしくみ)を勉強したら、世の中でもっともシンプルで役に立つ知識であることを知りました。

 その後今の仕事をするきっかけになったのも、仕事を支えてくれたのも「簿記」でした。

 簿記の目的である「財務諸表」は、経済社会を生き抜くための「地図」であり「海図」であるとつくづく思います。

 信じにくいことですが、「複式簿記」の重要性を深く認識し、学校教育にはじめて簿記を教科として取り入れたのは、ワイマール公国の宰相でもあった詩人ゲーテだそうです。

 ゲーテの本を読んでいて「簿記」と出会ったときはびっくりしました。

 ゲーテは著書『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』で、主人公(ゲーテの分身)の親友ヴェルナーに次のように語らせています。

岩波文庫『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』上巻p54
 「真の商人の精神ほど広い精神、広くなくてはならない精神を、ぼくはほかに知らないね。商売をやってゆくのに、広い視野をあたえてくれるのは、複式簿記による整理だ。整理されていればいつでも全体が見渡される。細かしいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ」
 「失敬だが」とヴィルヘルムは微笑みながら言った。「君は、形式こそが要点だと言わんばかりに、形式から話を始める。しかし君たちは、足し算だの、収支決算だのに目を奪われて、肝心要の人生の総計額をどうやら忘れているようだね」

 「残念ながら君の見当違いだね。いいかい。形式と要点は一つなんだ。一方がなければ他方も成り立たないんだ。整理されて明瞭になっていれば、倹約したり儲けたりする意欲も増してくるものなんだ。やりくりの下手な人は曖昧にしておくことを好む。負債の総額を知ることは好まないんだ。その反対に、すぐれた経営者にとっては、毎日、増大する仕合わせ(仕訳)の総計を出してみるのにまさる楽しみはないのだ。いまいましい損害をこうむっても、そういう人は慌てはしない。どれだけの儲けを秤の一方の皿にのせればいいかを直ちに見抜くからだ。ねえ、君。ぼくは確信しているが、君がいちど商売の本当の面白さを知ったら、商売でも、精神のいろんな能力を思うさま発揮できるということがよくわかると思うよ」

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 複式簿記の目的・効用、つまり経営者にとっての「鏡」であり「地図」であり「望遠鏡」であることを、これほど正確にわかりやすく述べた文章はないでしょう。

 ゲーテがもし現代に生きていて、やむなく経済界に身を投じたとしたら、きっと存在価値の高い企業の名経営者となったに違いないと私は思います。

 しかし忘れてはいけないことがあります。

 それは、ゲーテは単なる「経済人」ではなかった。その前に「人間」であり続けたということです。

 参考
   →「ゲゲゲのゲーテ」より抜粋
   →ゲーテ「趣味について」
   →ゲーテ「わが悔やまれし人生行路」
   →ゲーテ「嫌な人ともつきあう」
   →ゲーテ「相手を否定しない」
   →ゲーテの本を何ゆえ戦地に?
   →ゲーテ「私の作品は一握りの人たちのためにある」
   →ゲーテ「好機の到来を待つ」
   →ゲーテ「独創性について」
   →ゲーテ「詩人は人間及び市民として祖国を愛する」
   →ゲーテ「若きウェルテルの悩み」より抜き書き
   →ゲーテ「自由とは不思議なものだ」
   →ゲーテ「使い尽くすことのない資本をつくる」
   →「経済人」としてのゲーテ
   →ゲーテ「対象より重要なものがあるかね」
   →ゲーテ「想像力とは空想することではない」
   →ゲーテ「薪が燃えるのは燃える要素を持っているからだ」
   →ゲーテ「人は年をとるほど賢明になっていくわけではない」
   →ゲーテ「自然には人間が近づきえないものがある」
   →ゲーテ「文学作品は知性で理解し難いほどすぐれている」
   →ゲーテ「他人の言葉を自分の言葉にしてよい」
   →ゲーテ「同時代、同業の人から学ぶ必要はない」
   →ゲーテ「自分の幸福をまず築かねばならない」
   →ゲーテ「個人的自由という幸福」
   →ゲーテ「喜びがあってこそ人は学ぶ」