怠惰は最高の贅沢かも

 今までの価値観を捨てて、いや、そこまでの度胸はないので、たまには脇におきたいものだな〜と思う今日この頃です。

(Pomeraっていいですね!)

『詩集ノボノボ』より

怠惰は最高の贅沢かも

 このシリーズもそろそろ名前を変えたほうがいいかもしれない。

 「詩集トボトボ」とか「詩集ヨボヨボ」とか。

 「習い性となる」というのは本当だなと思う。

 仕事一途の人生とは、ある意味ビジネスジャングルを舞台とした冒険物語のようである。

 ジャングルブックの少年が野生の知恵を自然に身につけたように、私もビジネスジャングルの野生が身にしみてしまったようだ。

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 というのは、何をするにも無意識に「価値あるもの」を探そうとしてしまうのだ。

 無念無想などは「禅」の修行でたどり着ける特殊な宗教的境地のように思っている。

 無理に欲しない、無理に探さないことを奨励する人も多いが、それもほとんどは価値あるものやことにたどり着くための脇道的方法論である。

 怠惰、無意味、無価値そのものをズバリ肯定する人などまずいない。

 仮にいたとしても、その人は他人に伝えようとは思わないだろう。

 私はこの頃、全く意味のないことをしてみたいとつくづく思うようになってきた。

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 たとえば賭け事。

 最終的に客が必ず損をするに決まっているからこそこの産業は成り立っている。

 だから理屈を一番の武器にして生きてきた人は普通のめり込むことはないし、賭け事はばかげたことの代表格である。

 65歳の今、そんなどうでもいいことに夢中になりたいと思うのだ。

 高校の頃はパチンコ中毒であやうく停学だった私がこういうことを言うと、昔からの友人はきっと笑うだろうな。

 受験戦争のあの頃、パチンコは無念無想になれる現実逃避のパラダイスであった。

 それと、玉がジャラジャラ出てくるときのハンドルにくるあの振動は、男性特有の生理的快感を感じさせたものだ。

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 健康に悪いというタバコも17歳ではじめ47歳の時やめたが、もう一度パイプなどふかしてみたいと思うことがしばしばである。

 紫煙がたちのぼっていくさまは、線香のように心を鎮めてくれるようだ。

 酒も鯨飲したいものだが、年のせいでもう飲めなくなってきた。

 なによりも、次の日のだるさを思うと無駄の代表には違いないが意欲はわかない。

 とても残念なことではある、とつくづく思う。

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 ということで、どうでもいいことを「悪」としてきた自分がとてもつまらなく感じている今日この頃である。

 つまり、何にでも積極的価値を見いださないと満足できないままの自分をケチくさく感じるようになってきたのだ。

 と、またも理屈や分析の自分である。ヤレヤレ。。。

 だいたい「今のパチンコって10分で1万円なくなるぞ!」って聞いてひるんでしまう臆病たかりの自分でもあるのだ。

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 こんなどうでもいい話を叩いているのにはわけがある。

 「Pomera」というお宝を手に入れたのだ。

 日本酒甘酒カクテルをなめながら、洗濯物干し場件私の憩いの場所であるベランダで、感触の良いキーボードと戯れているのだ。

 どうでもいいことって実にいいもんだな!

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」