今日は娘夫婦に石巻でうなぎをおごってもらいました。私と妻、娘夫婦に孫二人、計6人が一台の車に乗り、石巻「割烹滝川」へと向かいました。津波で大変だった場所ですが、今では道の駅(海の駅?)などもできて、とてもハイカラな地区になりました。
食後、石巻の海側を一望にできる日和山(ひよりやま)に寄りました。
3.11のときは言葉もありませんでしが、復興はだいぶ進み、今では安心して風景を眺められるようになりました。(このたびの豪雨で甚大な被害を受けた西日本の皆さんには早期の復興を心からお祈りいたします)
炎暑の今日ですが、木陰に浜風がふくと実に涼しいものです。
さて、日和山の展望台の下には昔ながらのかき氷の屋台店がありました。
たぶん親子と思いますが、ばあさんとおかみさんの二人がにこやかに声を掛けてくれるので、皆でかき氷をいただきました。
昭和30年代風の店と、その頃のかき氷容器を見てとても懐かしくなりました。
というのは、わが家でも母がかき氷屋をやっていたからです。
その頃の思い出を店で娘や孫たちに話しているのを裏で聞いていたのでしょうか、帰り、ばあさんはびっくりするくらい丁寧に私たちをお見送りしてくれるのでした。
もう6年前になりますが、その頃の思い出を書いた文章があります。
ノボ・アーカイブス
天国の食べもの
『思い出アルバム』を私の幼少時代のページへとめくっていこう。
幼少期はいうまでもなく白黒写真だ。思い出がカラー写真よりいきいきとよみがえるのはどうしてだろう?
まず一枚目は3歳頃の写真だ。
わが家自家製のかき氷のイチゴシロップを、私がこっそり盗んで飲んでいる写真だ。
あ〜〜思い出す!こんなに甘くて美味しいものは、この世のものとは思えなかった。
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昭和30年代のはじめはどこも貧乏だったが、毎年暮らしは良くなり、近所付き合いもとても豊かだった。
わが家では父は教師だったが、母は実家が商家でその血が濃く、小さな食料品店をやっていた。
夏には「かき氷」も売っていた。
その頃はエアコンなんてものはなく、クールダウンは「うちわ」「行水」「かき氷」だった。
今頃の季節なら、遅いときは12時頃までやっていたという。
大きな氷を機械にセットし、手でハンドルを回してつくるのだ。体力がなくてはできない商売だった。
わが亡き母はその頃体がとても丈夫で風邪などひいたこともない。
というか、商売の忙しさに加え父や子らがしじゅう病気だらけで、自分が風邪ひく暇もなかったようだ。
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この頃、近所の中華そば屋でも、漆塗りのそうちゃんの家のお母さんも、あちこちで「かき氷屋」をはじめたが、わが家のシロップにかなう店はなかった。
たっぷりな高級なザラメをとろとろ煮込んでシロップをつくるのだ。他の店なんか合成甘味料「サッカリン」を使っていたところもある。
さて私はといえば、花蜜に惹きつけられたミツバチのようになって、しじゅうお客さんのところに顔を出す。
しかも、おふくろ譲りの「商売の血」が濃いのか、お客さん一人ひとりに挨拶をしたものだ。
いつしか「店のマスコット」みたいに可愛がってもらうようになった。
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父は父で、学校から帰ると今度は母に頼まれて、帰ってきたばかりの学校やら近所に「かき氷の出前」である。
いやはや、何でもやった時代だ。
今ではお寺さんは裕福だが、この頃近所のお寺では山羊を飼っていて、家族はそのミルクを飲んでいたし、和尚さんはやはり先生兼務だった。
みんな食べるために、あれこれいろんなことをやっては変え、やっては変えしていたものだ。
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二番目の写真は店先につるした「バナナ」だ。
想像できないだろうが、バナナはその頃「超高級スイーツ」であった。
まだ台湾バナナが輸入されていない頃で、一本30円もした。
その頃の中華蕎麦(ラーメン)一杯と同じ値段だから、今なら一本500円くらいになるだろうか?
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ここでもチビッコ盗人の私が写っている。
バナナは房ごとつるして一本売りをしていた。
私は小さいくせに、こんな悪いことには良く知恵が回ったものだ。
バナナの房の真ん中へんからもぐのだ。
外側にバナナがあるので盗まれても気づきにくい。
バナナを食べると、あの甘い香り、サクッモグッという食感で、まるで天国に行った気がしたものだ。
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幼少期の天国の食べもの、最後は「ソフトクリーム」だ。
これをはじめて食べたのは小学校2年生くらいだった。
この世のものではないと思った。
なにせ、世に牛乳はあったが、給食は鼻が曲がりそうな「脱脂粉乳」。
アイスというのは「甘いだけの氷菓子」の時代。
乳白色のとろけるあの乳の味覚、コーンの香ばしさ!
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さて、今週土曜の9月1日は「母の十三回忌」だ。
その日私は、あの日の情景をきっと思い出すに違いない。
かき氷機械のそばで母と一緒に写っている写真。
母は頭に手ぬぐいを被り、ノースリーブの夏服から出たたくましい腕を私の肩に置いている。
母も私も、まるで夏の太陽のように、何の屈託もなく笑っている。
(2012.8.30)