リーダーとは最後に食べる人

 今や、経済社会はこのタイトルの逆のごとくかもしれません。少しほとぼりが冷めつつありますが、某巨大自動車メーカーの外人カリスマ経営者は自分が最初に食べ過ぎて、ついに臭い飯を食べるハメに陥りました。(いろいろ裏事情もあるのでしょうが)

 ところが、たぶんどの国でも「目立たないけど良い会社」の経営者(リーダー)は「リーダーとは最後に食べる人」というモラルをまだ強く持っている、と私は思っています。

 国を問わず、中小・零細企業の経営者や個人事業主というものは、まだ昔ながらの良き「ボスのプライド」というか「男の甲斐性」みたいな美学を持ち続けていて、それがこの社会をなんとか持続させる基になっているような気がするのです。

 テレビで見ると、アフリカの大草原に生きるライオンの群れでも、オスのボスライオンは同じような生き方をしています。野生動物の社会も人間社会もよく似ています。

 オスは子どもを産めません。種を継承するメスや子どもに安定と安全を与えるために、リーダーとなって自己を犠牲にして頑張る。私は、オスって結局そういうことにしか価値がない生き物に思えるんです。

 実に当たり前のようなことですが、それが大昔に発生したリーダーシップの本質である、と先日「ニューズ・ウィーク」誌で読んで、なるほど!と共感したのでした。

  レイモンド・チャンドラーの作品中の言葉をもじって表現すれば「リーダー(原文:「男」)は強くなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている資格がない」ということになるでしょうか。(「リーダー=男」とは限りませんが)

 これこそ、大昔より政治・経済・家庭あらゆる社会生活の中でもっとも大事なモラル(自らの掟)であり、状況や結果がどうであれ、特に(これにしか存在価値がない)オス族が持たねばならぬ魂であるように思えるのです。

 その魂が希薄になってくると、「私は」「俺は」の「一人称」だらけの「幼く、ひ弱な社会」になっていくような気がします。

 「あなたのために」は「二人称」の発想です。一人一人がもっともっと増やすべきは「仲間のために」「私たちのために」「みんなのために」という「三人称」の発想だと思います。

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 このシリーズは脚本:私ノボ村長、絵:同級生ゴリランジェロ氏のコンビで作成しております。

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