ショートSF「大晦日の宇宙船団」

f:id:kawasimanobuo:20191231121855j:plain

(甲板の巫女たち)

 シャカシャカシャカ シャラシャラシャラ・・・ シャカシャカシャカ シャラシャラシャラ・・・・宇宙船団の巫女たちは甲板を二手に分かれて進む。一方は船首へ、もう一方は船尾へと。背筋を伸ばし、すり足でゆっくりゆっくりと歩む。

 白衣(びゃくえ)に緋袴(ひばかま)の巫女たちは十数名、それぞれが金色の御幣束を両手で捧げ持つように握っている。御幣束には純金の薄い短冊が木の葉のように多数付いており、互いがこすれるたびにシャカシャカ、シャラシャラと心地よい音を発するのだ。

 甲板の巫女たちは人間そっくりである。しかし身の丈は二メートルを超えており、無機質な表情はどこか高貴な雰囲気をただよわせていた。

 巫女たちは御幣束をまるで枝から葉を振るい落とすように、時折緩急を付けて、左右にゆっくり振りながら進んで行く。得も言われぬ心地よい金色の音に合わせて、おびただしい数の金箔が淡雪のようにひらひらと地上に舞い落ちていく。シャカシャカシャカ シャラシャラシャラ シャカシャカシャカ シャラシャラシャラ・・・・

 宇宙船団の数は十数隻、一隻の長さはおよそ三百メートル、幅は三十メートルくらいのようだ。葉巻上の船体の中央には司令塔のような突起部があって、人類の持つ潜水艦によく似た姿である。

 

(消えた記憶)

 宇宙船団はその年の大晦日午後11時25分、突然現れた。この日この時間、日本では多くの人が恒例のテレビ番組を見ていたが、突然画面が消えた。数分の後、シャカシャカシャカ シャラシャラシャラ という音がテレビから流れ始めた。パソコンやスマホにも同じことが生じた。人々はどういうわけか催眠術にでもかけられたようにぼんやりとなり、何かに誘われるようにして外に出た。そして夜空を仰ぎ見た。

 人々の頭上数百メートルには雄々しく神々しい宇宙船団が静かにとてもゆっくりと西へ向かって進んでいた。外は夜だというのに夕方のような薄明かりだった。なぜなら雲の合間から淡い月光の箭(や)がいくつも地に刺さっていたからだった。まるで巨大な宇宙船が着陸するための脚のようだった。月は間違いなく照度を増していて、船団のためにサーチライトの役目を果たしているようでもあった。

 宇宙船団は15分もしないうちに人々の視界から消え去っていった。人々は何事もなかったようにして家に戻り、テレビを見たりスマホを見たり、あるいは元朝参りに行く準備をしたりと、いつもの生活に戻った。今見たことは意識から消えていた。

 

(偶然の撮影)

 この日、同じような現象が世界各地で起こったらしい。「らしい」というのは、はっきりと記憶に残っている人がいないからだ。とはいえ、まるで夢でも見たようにおぼろげな記憶が残った人も少数は存在した。

 読者は思うことだろう。それなのに、なぜ私がこの夜の情景を鮮明に表現できるのかと。実は偶然に宇宙船団が動画に写っていたのである。この日私は流れ星を動画で撮影しようと数台のカメラを空に向けていた。年が代わる時の流れ星は宇宙からのメッセージのように思っていて、それをSNSに載せて「いいね」をたくさんもらいたかったのである。

 自分も目撃したはずなのに記憶がない。しかし動画にはしっかりと残っている。。。私は自分なりに調べてみることにした。

 日本にも世界にも同じような人たちがいた。SNSを通じてわれわれは互いに意見交換をしあった。ところが皆目見当が付かない。ニュースでも取り上げられはしたが、いつものUFO目撃談と同じようにすぐさま忘れ去られてしまった。

 ところが新年も一ヶ月を過ぎたある日、ある方から手紙が届いた。いったいどのようにして私のことや私の住所を知ったのかわからない。その方は、私だけに大晦日の宇宙船団の秘密を教えてくれるというのだ。ただし実際に会って話を聞くこと、話の内容を疑わないこと、口外はしないこと、これらが条件だった。

 

(真実の一子相伝)

 その方は東北のある山間部で一人暮らしをしていた。隣家も遠い古民家がその方の家だった。雪の少ない年だったので、なんとか無事にたどり着くことができた。

 屋根の煙突から薪ストーブの薄い煙がおだやかにのぼっていた。「ごめんください」と入り口を入った私はびっくりした。秋田犬が目の前にいたからだ。しかし犬は吠えることなく主人のところに私を案内してくれた。

 その方はおおよそ80歳くらい、深いしわだらけの日焼けした顔に小さく奥深い目があった。身体は細身だが手首の骨は太くたくましかった。

 その方が私に話してくれたのは驚くべき内容であった。なぜ私に話してくれたのかといえば、たった一人だけに口伝することがこの真実を知った者の義務なのだそうである。私のことはニュースか何かで偶然知ったらしい。

 私がこの家に着いたのは午前11時、それから4時間、その方は私に信じがたい宇宙の真実を明かしてくれたのだった。

 

(それから20年後)

(その方と出会ってから20年後、私の孫がこの文書を読んでいる。神棚の中に隠しておいたのだ)

 今、私はこの世にはいないはずです。

 生前知った宇宙の真実を、私はたった一人だけに口伝する義務を負いました。

 あなたはこの文書を決して疑ってはなりません。そしてたった一人だけにしか伝えてはいけません。ですから、この文書も読んだ後必ず焼いてください。

 運命とは自分で選べないものです。あなたは大変な義務を負ってしまったと思うでしょうが、決してあなたの妨げになるものではありません。むしろあなたに善き力を与えてくれるものになるはずです。

 

(宇宙の真実)

 その年の大晦日の夜、私は空に漂い進む宇宙船団と出会いました。不思議なことに、多くの人々がその体験をしたはずなのですが、記憶が消されているのです。ところが私は偶然動画を撮影していたのでこの真実を知るきっかけを得たのでした。そして私はある方から宇宙の真実について知らされたのです。選ばれたたった一人として。私が知った宇宙の真実とは、実に不思議ではありますが、実にありがたいものでもありました。

 あなたは初夢を知っていますね。正月二日に見る夢には、宝の船に乗った神や仏が私たちに幸せを運んでくる話があります。人は記憶を消されても無意識の中に痕跡が残るのです。宝船はまさに(消された)大晦日の宇宙船団の記憶なのです。彼らは遙か昔から何度も地球を訪れており、それは人類の潜在記憶となっているのです。ですから洋の東西を問わず同じような伝説や神話が残っているのです。

 彼らは私たち人類の先祖なのです。死とは生命が無に帰すことですが、実は素粒子レベルに分解し宇宙に拡散するということなのです。その素粒子が宇宙のエネルギーで再び凝集し宇宙生命として生まれ変わるのです。そのるつぼがブラックホールです。

 ですから永遠の生命、不滅の魂、あの世、来世、、、これらの概念は当たらずも遠からじなのです。神話や宗教の描く世界や宇宙は荒唐無稽に思えますが、多くの人々が信じ伝承されるのも、人類の無意識にこの真実が痕跡として残っているからなのです。

 

(船団の目的)

 なにゆえに我らの先祖は宇宙の深淵からやってくるのでしょうか?それは私たちに警告を与えるためなのです。彼らにとっても故郷であるこの惑星を壊滅から救うためなのです。敵と戦って私たちに勝利を与えるというのとは違います。彼らは私たちの心に生じる悪を私たちに悟らせようとやってくるのです。それが必要となっているときに。

 あなたはきっとこう思うでしょう。それならなぜ世界に戦争や悲惨はなくならないのだ?と。それは、万能というものは宇宙には存在しないからです。宇宙の先祖たちは「親」であり、私たちは「子」にすぎないのです。親は子を完全に守ることはできません。親にできることは、子に自分を守る知恵や力を付ける手伝いをしてあげることだけです。子の成長や成熟度合いでその方法も異なります。

 彼らはあえて真実を知らせず、自らの姿を謎として潜在記憶にとどめることによって、親のように諭しているのです。「宇宙は地球だけではないのだよ。ましてや人類だけではない。あなたたちはまだ知らないことだらけなのだよ。兄弟げんか(戦争)などしている暇はない。おまえたちのエネルギーを未知の世界に向けなさい。エネルギーを兄弟げんかに使うのはやめなさい」と。

 「なぜ世界に戦争や悲惨はなくならないのだ?」という疑問は真っ当です。しかしこのように問うこともできるでしょう。「それでもこの世界が存続しているのはなぜだ?」それは、私たちの無意識層に刷り込まれた宇宙の先祖の情報が、伝説、神話、宗教、慣習などに形を変えて、かろうじて私たちを守ってくれているのです。

 

(永遠の縁)

 人類が人類であるゆえんは「好奇心」と「生存本能」です。その源である「エネルギー」は正負、善悪どちらもあってはじめて発生しうるのです。それなしでは人類は人類たり得ないのです。それゆえ悲惨は完全にはなくせません。「エネルギー」を失わないためには、「エネルギー」によって自滅しないためには、そのバランスを保っていくことしか手段がないのです。

 人間の身体も機械も注意や危険のシグナルを出します。それをシグナルと知るには人間でも成長、成熟が必要です。悲惨が多い時代はそのレベルがまだ未熟だからです。

 宇宙船団は人類のみならず生きとし生けるものの生存本能のエネルギーが転化した粒子エネルギーともいえます。とても矛盾していますが、死んだ自分たちが姿を変えて存在を続けるためには、生から死へのエネルギー変換が続かなければならないのです。それゆえ彼らなりの仕方で子に注意を与え続けているのです。そうでないと宇宙の先祖は「死んでも死にきれない」のです。

 真実は法灯のようなものです。かそけき大切な炎ゆえに、絶やさぬようにそっと守っていかなければならないのです。たった一人からたった一人へと。

 (この文書を読んだ後、孫の眼には穏やかだが決然としたまなざしが宿っていた)