メイキング・オブ・耳なし芳一

 幼い頃に聞いた怪談のうち一番怖かったのは「耳なし芳一」でした。護符として身体に書かれたお経はまるで入れ墨のようで、その姿はきっと爬虫類のごとくであろうと想像し、大変なショックでした。
 小泉八雲を知れば知るほど好きになっていきます。

 ギリシアで生まれ、その後親の事情でアイルランド、イギリス、フランスと移り住んだ不幸な幼少年時代。

 十九歳のとき単身アメリカに渡り、様々な下積みの仕事をしながら図書館で読書にふけりました。

 少年時代の事故による隻眼、残った眼も弱視というハンデを背負いながらも気宇壮大で行動家、人種的偏見もなくニューオリンズでは黒人女性と結婚したり(のち離婚)、ゴーギャンと同時期に同じ仏領マルティニーク諸島で二年間過ごしたりと、社会に出てからはけっこう自由奔放に過ごしました。

 その後アメリカのある雑誌社の特派員として日本にやってきました。

 1890年(明治23年)彼が四十歳の年でした。

 寒いのが苦手な彼がそれでも日本に帰化したのは、「古き日本人の魂」に触れ、日本を(まだ)文明の汚れなき「妖精の国」のように感じたからです。

 日本人の持つ温かさ、寛容さ、凜々しさ、清新さ、魂の一部となった道徳心、彼の繊細な感受性にはこれらが比類なき美しさに思われ、そして心が癒やされたのです。

 それらの性質は、彼の妻小泉節子もその多くを持っていたことでしょう。

 小泉節子「思い出の記」には、小泉八雲のエピソードがたくさん描かれており、たぶん彼のどの著作よりも彼の人となりを感じることができるように思えます。

 その中にこのような文章があります。

 『怪談』の初めにある芳一の話は大層ヘルンの気に入った話でございます。中々苦心致しまして、もとは短い物であったのをあんなに致しました。

 「怪談」は日本に伝わっている民話をそのまま文章にしたのではなく、小泉八雲と妻節子が二人で想像し、新たなストーリーと舞台設定で創りあげたオリジナル作品といえるものと知りました。

 その制作光景を描写した文章を抜き書きしてみました。

 「八雲はこんな語り方だったのか」などと、二人がすぐ身近にいるように感じられ、ますます親しみがわいてきます。


小泉節子「思い出の記」より抜粋

怪談は大層好きでありまして、『怪談の書物は私の宝です』と云っていました。私は古本屋をそれからそれへと大分探しました。淋しそうな夜、ランプの心を下げて怪談を致しました。


ヘルンは私に物を聞くにも、その時には殊に声を低くして息を殺して恐ろしそうにして、私の話を聞いて居るのです。その聞いて居る風が又如何にも恐ろしくてならぬ様子ですから、自然と私の話にも力がこもるのです。


その頃は私の家は化物屋敷のようでした。私は折々、恐ろしい夢を見てうなされ始めました。この事を話しますと『それでは当分休みましょう』と云って、休みました。


気に入った話があると、その喜びは一方ではございませんでした。私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。


私が本を見ながら話しますと『本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考でなければ、いけません』と申します故、自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。


話が面白いとなると、いつも非常に真面目にあらたまるのでございます。顔の色が変りまして眼が鋭く恐ろしくなります。その様子の変り方が中々ひどいのです。たとえばあの『骨董』の初めにある幽霊滝のお勝さんの話の時なども、私はいつものように話して参りますうちに顔の色が青くなって眼をすえて居るのでございます。


いつもこんなですけれども、私はこの時にふと恐ろしくなりました。私の話がすみますと、始めてほっと息をつきまして、大変面白いと申します。『アラッ、血が』あれを何度も何度もくりかえさせました。どんな風をして云ってたでしょう。


その声はどんなでしょう。履物の音は何とあなたに響きますか。その夜はどんなでしたろう。私はこう思います、あなたはどうです、などと本に全くない事まで、色々と相談致します。二人の様子を外から見ましたら、全く発狂者のようでしたろうと思われます。


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『怪談』の初めにある芳一の話は大層ヘルンの気に入った話でございます。中々苦心致しまして、もとは短い物であったのをあんなに致しました。『門を開け』と武士が呼ぶところでも『門を開け』では強味がないと云うので、色々考えて『開門』と致しました。


この「耳なし芳一」を書いています時の事でした。日が暮れてもランプをつけていません。私はふすまを開けないで次の間から、小さい声で、芳一芳一と呼んで見ました。


『はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか』と内から云って、それで黙って居るのでございます。いつも、こんな調子で、何か書いて居る時には、その事ばかりに夢中になっていました。


又この時分私は外出したおみやげに、盲法師の琵琶を弾じて居る博多人形を買って帰りまして、そっと知らぬ顔で、机の上に置きますと、ヘルンはそれを見ると直ぐ『やあ、芳一』と云って、待って居る人にでも遇ったと云う風で大喜びでございました。


それから書斎の竹籔で、夜、笹の葉ずれがサラサラと致しますと『あれ、平家が亡びて行きます』とか、風の音を聞いて『壇の浦の波の音です』と真面目に耳をすましていました。


書斎で独りで大層喜んでいますから、何かと思って参ります。『あなた喜び下され、私今大変よきです』と子供のように飛び上って、喜んで居るのでございます。何かよい思いつきとか考が浮んだ時でございます。こんな時には私もつい引き込まれて一緒になって、何と云う事なしに嬉しくてならなかったのでございました。


『あの話、あなた書きましたか』と以前話しました話の事を尋ねました時に『あの話、兄弟ありません。もう少し時待ってです。よき兄弟参りましょう。私の引出しに七年でさえも、よき物参りました』などと申していましたが、一つの事を書きますにも、長い間かかった物も、あるようでございました。


→小泉節子「思い出の記」(青空文庫)

 →小泉八雲に惹かれる
 →小泉八雲「おばあさんの話」より