ショートSF「未来からの手紙 ”新しい幸福”」

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 「さてと、、、今日は届いているかな?」私の朝は玄関前のポストを確認することから始まる。たぶん多くの人と同じように。しかし、ポストの中に確認したい物は、私以外の人とはまったく異なる。それは未来から届く手紙だから。

 どんな人でも自分だけの秘密を持っている。それは墓まで持って行くので後生知られることもない。だから、この世界は常にとんでもない秘密に満ちあふれているのだ。

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 私が彼と知り合ったのは今から2年前のことである。春うららかな日中、私は土手道を自転車で走っていた。ふと河原を見たら彼がいた。自然観察をしている人かと思って、何を観察しているのか興味を持ち、しばし自転車を停めて彼を見ていた。

 彼は微笑みながら、私に下りてこいと手招きした。私は誘いに応じないのも失礼かと思い、彼のもとに下りていった。年齢は50歳くらい、頭に白いものがけっこう混じってはいるが、若々しいエネルギーが感じられる方だった。

 暖かな陽射しは水面にキラキラと反射し、小鳥の声は音楽のようで、自然と心が和み、私たちは古くからの知り合いのように親しくなった。彼はフリーのカメラマンで日本のみならず世界のあちこちを撮影旅行しているのだそうだ。

 別れ際、彼は奇妙きてれつな話を私に語った。彼は世界を移動するだけでなく、時空も移動しているのだそうだ。数年前からそれが可能になったこと、どこに飛ぶかは自分で選べないこと、2.3日すると元の場所に戻ってくること、元の場所は時間が進んでいないこと、そして精神疾患ではないかと大変悩んだことを彼は語った。

 白昼夢というものか?と私も思ったが、彼はそうでないことを知ったというのである。それはある直近の未来で起こったことが、この世界でも実際に起こったことでわかったと言う。古来より「正夢」という言葉があるが、もしかしたら彼と同じような人は古今東西たくさんいるのかもしれない。みんな秘密を持ったまま死んでいってるのではないだろうか。

 彼はかつて面白い実験をしてみたらしい。未来から出した手紙が過去に届くかというものだ。未来に行った人が元に戻ってくるように手紙もそうできるのでは?と考えて試してみたらうまくいった。着いた手紙は元の世界の郵便物として普通に配達されることも知った。私はとても興味を持ったので、彼に私あてに手紙を出すようお願いした。

 河原で1時間も過ごしただろうか、互いに不思議な縁を感じ名残惜しかったが、再会を期して私たちは別れた。

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 というわけで、私のポストには年に何度か未来の彼から手紙が届くのである。SFめいた話であるのに、届く物が手紙という昔ながらの実体物であるのはとてもおもしろいことだ。

 さて先日、何度目かの手紙が配達された。差出人はもちろん彼、日付は2050年1月21日である。それによると30年後の世界はヴァーチャル格差社会となっているらしい。

 

 「ノボさん、お元気ですか?未来から今日もまたお便りします。(中略)びっくりしたのは仮想現実テクノロジーが人々の日常生活に広く深く浸透しているということです。昔?は映画やゲームのエンターテイメントであったのが、今では人生の幸福感に影響する社会的な意義を持つものに変化しているということです。

 

 幸福感には時間というものが大いに関係します。子供や若者の幸福感は未来という時間を多く所有している、つまり可能性という財産を多く持っていることにあります。しかし人は年をとるとともに未来という宝物は減り、それとともに幸福感は減少していきます。

 

 しかし、時間というのは未来の方向だけではなく過去の方向にも伸びているのです。30年後の世界では、老人に(失った)過去の時間をもういちど与え、幸福感を増やすことに挑みました。それは社会的に良い結果を生んでいます。・・・」

 

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 未来社会の我々が過去の時間を取り戻すっていったいどういうことだ?私は彼の顔を思い出しながら、夢中になって続きを読んでいった。

 

 「元の世界にその端緒がありました。それは個人のスマホ写真や動画の大量蓄積です。おどけた言い方をするなら「食事は自分より前にスマホに食べさせる」みたいなカシャカシャ文化が今の世界で出現していますよね。それにより日常生活の膨大なシーンがデジタルデータとして蓄積されていきました。

 

 その映像データをAIが貪欲に食べ続けました。その結果、30年後にはAIバーチャル・リアリティーが個人レベルで実用化したのです。ホログラム、感覚再現センサーシステムなどハード面の発達、脳科学の進歩が協同し、ついに人は「過去と共に生きる」ことが可能になったのです。・・・」

 

 手紙は続く。

 

 「初めに実用実験が始まったのはある北欧の国の老人ホームでした。この国は福祉が世界一なのに老人の自殺率が高いことが問題でした。そこで「人の幸福」を「思い出」というもので増やせないかと考え国家プロジェクトとしたのです。そしてバーチャル・リアリティを福祉の手段と考え、実用化に向けて研究していきました。

 

 人は年をとり記憶力が弱っても、昔の記憶は保持されています。あるいは、ちょっとしたきっかけで蘇るものです。昔の記憶が蘇ったとき多くの人は涙を流して追憶の幸福感に浸るものです。

 

 それは特に家族の記憶によって強く顕れます。友人やペットなども同じ効果があります。人は失った時を再び取り戻し、自分の人生の物語を見て、それがどのようなものであっても懐かしさに打ち震えるのです。長く人生を過ごしてきた人ほどその感動は大きいことでしょう。・・・」

 

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 でもどうやって実用化しているんだろう。大きなゴーグルを付けるのだろうか?それとも?

 

 「30年後の世界では、人間の構造を模した動的マネキンともいえるブランクロイド(素材)が造られていました。それに立体ホログラムを合成すると触わることもできるのです。もちろん小さなゴーグルや補聴器なども併用しています。近未来を舞台にしたSF映画にあったことの多くが実用化されていました。・・・」

 

 人は人生という山を前を向いてしゃにむに進みます。しかし30年後の世界では、人生の後半、つまり山の頂に近くなったとき、後ろを向きながら上るのです。自分が上ってきた道、自分がいた下界の風景を見ながら進むのです。上るほどその光景は拡がっていくのです。」

 

 私たちは人生の価値を「創っていく喜び」にあると考えていました。しかし未来では「創ったものを味わう喜び」も発見したのです。それは「新しい幸福」と言えるものでしょう。

 

 しかし何事も光と影がある。あるいはその過程があるようだ。

 

 「しかし、そんな社会であればこそ新たな分断が生じているようです。元の世界では人の財産や富は金や物で量られてきました。ところが「新しい幸福」という財産を量るのはデジタルコンテンツの量と質なのです。

 

 というのは、バーチャル・リアリティーをつくるためには個人の過去に関する膨大なデータが必要です。それを多く持つ人少ししか持たぬ人でバーチャル・リアリティーの質に大きな差が生じるのです。

 

 それは財力で買うことはできません。コンテンツとは本人や家族、友人などが蓄積した映像、著書、日記、記事、仕事の記録、アルバム、ブログ、、、など、本人の人生に関係したあらゆるものが含まれます。

 

 それらをもとにAIが再構成するわけです。ここにおいて元の世界にはなかった「新しい幸福」価値が生じたのです。同時にその格差も。

 

 社会福祉が逆行しない限り「新しい幸福」の価値は上がり続けることでしょう。人生の最後に最大の幸福を得たいなら、人は自分の人生の記録をたくさん残すことが必要となってきたのです。かつて貯金し老後に備えたように。」

 

 彼の手紙の最後にはこうあった。

 

 「私自身、未来から人生について貴重なことを教えてもらいました。「失われた時」というものが人の最大の財産であることを。

 

 未来のために過去をしっかり記録していこうと思っております。ノボさんもどうぞブログをたくさん書いて新しい幸福つくりにお励みください(笑)」

 

 とあって苦笑してしまった。

 

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 数日後、女房とどういうわけか終活の話になった。「あなたの日記とかどうするの?死んだら一緒に焼いていいのね?」と聞かれ、私はこう答えた「できるだけ残してくれ。処分は次の世代に任せるのがいい。」

 (そう、次の世代が自分たちの親の記憶を再現するときに、きっと役に立つはずだから)と自分の心に語りつつ。