歩けなくなった数日

 先週の水曜日、突然歩けなくなってしまいました!ようやく杖をついて歩けるようになりましたが、あれこれ考えさせられました。

(クリント・イーストウッド「荒野のストレンジャー」)

 私は幼児の頃両足股関節脱臼でした。

 この疾患があった人はほとんどみんな、歳を取るとその後遺症が顕れてきます。

 それでもだましだまし、びっこを引きながらも日常生活には(私的には)支障がなく生活していました。

 10年くらい前から走ったりするのは全然できなくなりましたが、じわじわ劣化してくるので慣れっこになってしまうんですね。

 太りすぎとか生活の乱れがあるとすぐ股関節が痛み始めるので「一病息災」と思い、かえって感謝する気持ちさえありました。

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 先週の水曜日は急に寒くなった日でした。

 その日、父のおかずをスーパーで買ってたんですが、カートで運べば良いのに、重い荷物をふたつ手に持って歩いたのが良くなかったかもしれません。

 そして極め付けは父の食事を作る前に印鑑を取ろうと、かなり無理しないと開けられない位置にある金庫を開けたことでした。

 無理な姿勢のため股関節の筋が伸びてしまい3〜4センチくらいも右足が長くなってしまったのです。

 ここで安静にすれば大事にならなかったところ、無理して食事をつくり続けざるを得ませんでした。

 この後痛みで何回も休みながら、百メートルほど離れた駐車場に戻りました。

 さらにこの日は孫の用事も頼まれていて、無理して娘の家へと向かいました。

 もう車から出るのも、再び車に乗るのも悲鳴を上げながら状態でした。

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 なんとか夜自宅にたどり着きましたが、前日から女房は二泊三日の旅行に出ており私一人。

 一歩歩くのも命がけでした。

 ご飯も食べられず、トイレもままならず、しかも痛みでその夜は一睡もできませんでした。。。

 脚の長さが大幅にずれると骨盤が変な状態になり、体全体に痛みやしびれが生じてきます。

 痛みをこらえながら体をくねらせ、大汗をかきながらあれこれ考えました。

 「なんでこんな大変な状態になったのだろう。神様がなにかを悟らせようとしてるんじゃないのか」と。

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 実は今日月曜日は、90歳の父がいよいよ愛車を手放してくれる日です。

 根っからのドライブ好きで初期認知症の父に、車の運転をあきらめてもらうための今日までの段取りは大変なものでした。

 午前10時に引き取り業者がやってくるので、私も女房の車に同乗し、これからその処理に出かけます。

 ここ数日、私の代わりに父の食事作りに行っていた女房の話では、父は何度も「車運転できなくなるのがつらい、寂しい、不安だ」と語っていたそうです。

 一人暮らしの「父にとっての愛車」は「カウボーイの愛馬」に匹敵するものであったことでしょう。

 私も「足がない状態」を経験し、車という足がなくなるつらさを今までよりもわかる気がしました。

 私の股関節の痛みも、そんな思いをよく知って行動しろという天からの諭しだったのでしょうか。。。

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 二つ目に感じたのは「老い」の心配です。

 老いてますます関節の具合が悪くなり、歩行が困難になったらどうしようと真剣に思いました。

 老父の世話は一体どうしたらよいかという心配もかなり大きいです。

 そして車椅子の方の不自由さ、つらさをより思うことができました。

 同時に介助してくれる家族や他人の方々のありがたさ、助け合いの大事さを悟りました。

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 身体がうまく動かなくなると、とたんに「元気」も「夢」も「希望」も萎えていきます。

 いくらいやだと思っても、老いとともに「我が身体の不自由さ」は必ず増えてきます。

 いろいろ考えておかなければな〜と思いました。(少し動くようになるとまた忘れるかなー?)

 土曜の夜、仙台の友人が久しぶりにわが家に来てくれましたが、やはりこんな話になりました。

 還暦以来、友人たちと会えばそんな話題が多くなってきました。

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 そんな私の頼りない股関節も、懸命のストレッチのせいで少しずつ回復の兆しが出ています。

 あと数日で何とか歩けるようになると思いますし、そのように願うものです。

 寒さ厳しき師走のおり、皆様もどうぞご自愛ください。