2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧
このタイトル、冗談ではないんです。「今から40年後、米サンフランシスコ沖の水平線に、いくつもの人工島が浮かんでいるかもしれない。その名前は『アップルトピア』・・・」先日、朝日新聞の一面に出ていました。
どちらも「たたかう」、同じ読みです。しかしニュアンスは異なります。漢和辞典で調べてみると・・・
皆がいっせいに、「何でもいいから手しごとがしたい!」と答えました。被災地の仮設住宅で暮らすご婦人方に「今どんなことがしたいですか?」とラジオカーのアナウンサーが尋ねたときの話です。
サッカーと茨木のり子さん?いったいどんな詩なんでしょう。それは、あるサッカー選手の自立した清々しさを感じさせる作品でした。。
見識なき政界、見識疑わしき経済界。そんな中「サッカー界」は見識あるな〜と、ラジオ放送を聴いて感動しました。
「高校」に入学したんじゃないんです。「鬼剣舞部」に入学したんです。実にいいな〜この子たち。
何かの本と似ているな〜、という感じがずっと頭を離れませんでした。マーク・ボイル著『ぼくはお金を使わずに生きることにした』をワクワクしながら読み進んでいる間ずっと。
デザイナー『梅原 真』、農林漁業と地方に関する仕事ばかりを引き受け、次々とヒット商品を生み出しています。昨晩、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放映されました。
『タイム』(原題『In Time』)という映画を観てきました。近未来の「究極の時間格差社会」がその舞台です。ネットの評判は5点満点の3点に届かないようですが、私にはとても興味深く夢中で観ました。エンデの『モモ』に描かれた重要な要素をクローズアップし…
「新しいコラボ」には、こういうやり方もあるんですね。。。コラボといえば異なる職種がタイアップして新しい製品やサービスを生むことを連想します。が、数日前に新聞で読んだ記事は、普通のコラボが「異種融合型」だとしたら「反対結合型」とでも云えそう…
若者には職がない、大手はリストラ、そんな中でも「金(かね)を商う人々」だけは巨万の富を得ています。なんというアンバランスで野蛮な社会なのでしょう。野性はいいが野蛮は恥ずかしいことですよね。
ゆうべは我が町の「町議会だより」を読んで、嬉しくて涙が出そうになりました。そうしたら今朝の全国紙の朝刊を見て、今度はめちゃくちゃ頭に来ました!あの「ゲンパツオバケ」の話です。
ゆうべ、遠く滋賀県から懐かしいメールが来ました!「昨日、ネットを検索していて、なつかしい川嶋君の開拓日誌に出会いました。40年ぶりでしょうかね、古高1年の時同じクラス だった、○○○○です。・・・開拓日誌、とても興味深く読ませていただいてます。…
「ビンボー」は今までとても蔑まれてきた言葉です。しかし時代は変わりつつあります。「ビンボー」は相対的な経済状態を表す言葉から、「エコ」「自立」「自由な個人」という新しい生き方の基礎となるコンセプトに変容しようとしています。そこでまたおもし…
実は、この世界には空からこんなメッセージが絶え間なく流れていたんです。「お金がないと怖いですよ〜」「電気がないと怖いですよ〜」「病気になると怖いですよ〜」「攻めてきたら怖いですよ〜」
女房が孫にいろいろ本を買ってあげています。小さい頃にワクワクして読んだ本は一生の宝物のように思います。『今ファンタジーにできること』を読みながら、「文学の豊かさ」というものをあらためて感じています。
思わず「この雑誌、譲っていただけませんか!」とお願いしてしまいました。一昨日の昼、最近会社の近くにできたケーキ屋喫茶店でのできごとです。その雑誌は「OUTWARD」というスポーツ用品メーカー「mont-bell(モンベル)」の広報誌でした。
「電気ブタ」になりつつあるかもしれません。この私が。パソコンやらスマホやら携帯やら、常に「電脳情報」の見えない鎖につながれっぱなしの家畜のような気が。。。時々します。どこに飼い主がいるのかな?
あまりにも「経済学」と「物理学」だけ偏重し過ぎではないでしょうか。今の世は。それとあまりにも「専門化」のし過ぎみたいです。「木ばっかり見て森が見えない人」だらけです。もっと総合的な学問とか考え方がないと、人類は地球の「デストロイヤー」にな…
世の中は実に知らないことだらけです。「時計」にまつわる面白い話をふたつご紹介します。日頃私たちがせかされ続けている「時間」ですが、こんなおもしろ時計話には「ホッ。」とさせられます。
高齢化社会の加速。年金は先細り。年寄りを支える若年層が減っていく。未来はますます暗そう。。。こんな記事がいっぱい。でもこの話って、お年寄りが役に立たないお荷物、という偏見のうえに成り立っていませんか?
大手家電メーカーが「兆円」に達するほどの巨額の赤字!。数年前に引き続き、またも「万人」という単位のリストラが・・・。零細でも経営者のはしくれとして人ごとではありません。そうしたら、こんな妄想が生じてしまいました。
今日は大変な寒波!実家の水道も凍って、一人暮らしの米寿の父のところへ、まるで3.11の時のようにポリタンクで水運びです。。。そんな今日と「江戸めし」に何の関係があるの?
「人生」と「しごと」は一体のものだと思います。「しごと」が貧しくなったり、「しごと」の創出が少なくなったとしたら、「人生」も貧しくなるのではないでしょうか。
近未来の「新しいしごと」のことをあれこれを夢想しています。いったい、これからの私たちの社会やしごとはどんなふうに変わっていくのでしょうか?まずはそこから考えはじめないと。。。