ゆうべ、遠く滋賀県から懐かしいメールが来ました!「昨日、ネットを検索していて、なつかしい川嶋君の開拓日誌に出会いました。40年ぶりでしょうかね、古高1年の時同じクラス だった、○○○○です。・・・開拓日誌、とても興味深く読ませていただいてます。 川嶋君のユニークさと豊かさがとてもよく表現されて いますね。」ほめすぎです。。。が、とても嬉しいです。
「・・・僕は、滋賀県で山仕事をしています。林業労務です。現在親方として、62才と33才の初心者ふたりの面倒を見ています。脱サラをして25年ほどこの世界にいます。両親は80を超え、古川にふたりで暮らしていますが、 そろそろ、僕が帰ってふたりの面倒を見たいなと思い始めました。・・・」
私の父も88歳、元気に一人暮らしをしています。まるで仙人のようにして。
私たちの親たちは、戦争なども体験したせいか、人生に対する気骨が私なんかと違う骨太いものがあるようで、最近まぶしく感じます。
そうしたら昨年の5月に書いたブログを思い出しました。中川一政が父を亡くしたときに書いたものです。そこのところだけまた引用します。
中川一政画文集
「いのち弾ける!」より私は思った。貧乏なんて生きている間のことだ。死ねば跡形もない。
その古武士のような顔、鍛錬された骨格の立派さに感動した。
このままいつまでも置いておきたい。
私は火葬場から、その骨壷を抱いて車にのった。
まだ熱い骨壷の上に涙がおちた。
私はこの父を愛しているのだ。この父から生まれた事を誇りに思うのだ。
もうひとつ載せたくなりました。これは二年前に会社のブログに私が書いたものです。
「親父の背中」
2010年5月14日 18:17 コメント(0)社長をしております川嶋信雄です。
皆様にはいつもお世話になっております。
今日は、今年86歳になる私の親父を紹介します。
毎年5月の連休には父と一緒に金華山へ行くのが恒例です。
今年でもう25年目になります。金華山からの帰り道、
コバルトラインから太平洋を眺める親父の後ろ姿を撮りました。何とも哀愁を感じさせる背中です。
長い人生のあれこれを思い出していたのかもしれません。親父の青春時代は戦争と4年間のシベリア抑留でした。
その後結核で入院したり、4回もガンの手術をしましたが、
感心するのはそのプラス思考です。ガンを告知されても「見つけてもらって本当に良かった、
お袋があの世で守ってくれているおかげだ」と心から言うのです。だから「絶対に治ってみせる」という執念は、
人一倍強いものがありました。おかげで、今でも足腰は丈夫、歯も全部あって
魚は骨ごと食べたりします。しかも元気にほがらかに一人暮らしで頑張ってくれています。
私は、お袋(亡くなって10年)似でありますが、
「プラス思考だけは親父ゆずりだぜ」と言いたいものだなーと
つくづく思います。
この写真に写っている光景も、3.11の津波にのみ込まれてしまいました。
しかし、まもなくきっと復興するに違いありません。