(悟りとは何か)
・「悟り」を開くためには、まず疑問がなければなりません
・その「疑問」は大きく広く深いものでなければ、「悟りを開いた」とは言えません
・たとえば、私たちはどこから来たのか、私たちは何なのか、私たちはどこへ行くのか、人生とは何か、世界とは何か、宇宙とは何か、生きる目的とは何かなど
・このように、自分一人だけが関係する小さな疑問ではなく、人類全体や世界全体が関係するような根本的な疑問です
・この困難な疑問を考えぬき、到達した考えや境地(心の状態)が「悟り」と言われます
(悟りを開くためには)
・悟りを開くためには「脳」の普段使っていない場所(無意識)まで使う必要があります
・人間の脳のかなりの部分が普段使われていないそうです
・この脳の部分を働かすために、強烈なストレスを脳に与えることをします
・それが苦行や修行といわれるものです
・身近な例では、真冬に滝に打たれること、座禅を組むことなどがあります
・仏教や密教ではさらに厳しい修行があります
・真夜中の山野を何百日も歩き回ること、お経を何万回も唱えること、何日も断食することなど
・仏教に限らずどの宗教にもこのような苦行、修行があるようです
・いわゆる「超能力」を目覚めさせるひとつの方法といえるでしょう
(ブッダの疑問と怖れ)
・ブッダは釈迦国の王子で幼少から何不自ない生活を送り、妻子もいました
・20代の末、城の外にいる住民の悲惨な状況を見て、悲しみと共に深い疑問と深刻な怖れが生じました
・それは、我も人も避けられぬ「老・病・死」についてでした
・新たに妃を迎えた喜びも、愛児に対する愛情もお釈迦さまの憂鬱を消し去ることはできませんでした。
(ブッダの出家)
・ブッダが二十九歳のとき、真理を求め人生の問題を解決しようとの念やみ難く、ついに彼は出家しました。
・しかし出家にはもうひとつの理由があったのです(ここからは仏教学者中村元氏の解釈です)
・ゴータマ(ブッダ)の在世中に、シャカ族はコーサラ国のために滅ぼされてしまいました
・かれは国王として迫り来る他国の武力を撃退して大帝国の主となるか、または現世的なことがらをすべて断念して精神的な師となるか、いずれかを選ばねばならなかったのですが、かれはついに後の道を選びとったのです
・当時の政治情勢を考えればいかんともなし得なかったのであるとすると、かれが家を捨て、王国をすてて出家した心情は理解できるように思われます。当時、きっと「臆病者」「卑怯者」という非難をされたことが想像されます。
(なぜ妻子も捨てたのか)
・仏教学者中村元氏はこのように解釈しています。
「ゴータマ・ブッダは、自分の出家によって直ちに家族が路頭に迷うというような事がなかったので、断乎としてそのように決断することができたのであろう。かれは最愛の家族をすててまでも出家したのであるが、それは当時のインドの修行者の習慣に従ったまでである。それは今日で言えば、学問や技術を習得するために、家族と離れて都に出て来たり、或いは外国に行くという事情に一脈通ずる点がある」
(ブッダはすさまじい苦行を行った)
・ブッダが己の苦行について弟子に語った言葉があります
・「仔牛の糞」「自分の糞」を食べる、凶暴な獣の住む厳寒の森林で夜を過ごす、墓場で骸骨とともに寝る、などもありました
・断食や何日も続く座禅はもとより、このような強烈な苦行を6年間も行ったのです。
(苦行を行っても悟れなかった)
・ブッダは6年間の苦行をへても悟りを開くことはできませんでした
・それで苦行に見切りを付け、ある川のほとりにやっとたどりつき沐浴(もくよく:川に身を沈め身を清めること)しました
・その後身体の衰弱がひどく今にも死にそうにして伏せておりました
(スジャータに救われ菩提樹の下で悟りを開く)
・村の娘スジャータが瀕死のブッダを見つけ、乳粥(ちちがゆ:米をミルクで煮たもの)を与え命を救いました
・心身ともに回復した釈迦は、心落ち着かせて、近隣の森の大きな菩提樹の下で座禅を行いました
・そして旧暦12月8日に遂に叡智を極め悟りを得て、仏教が成道しました
(ブッダの悟りとは)
・ブッダの悟りは全ての人間に関わる「四つの真理(真実)」を発見したということにあります
・それは「四諦(したい)」というものです
・「苦諦(くたい)」「集諦(じったい)」「滅諦(めったい)」「道諦(どうたい)」の四つです
・苦諦(くたい)は、苦とはいかなるものであるか
・集諦(じったい)は、苦が発生する原因
・滅諦(めったい)は、苦から逃れ安らぎに達する道のり
・道諦(どうたい)は、悟りに導く実践方法
・ブッダは、あらゆる「苦」の正体を明らかにし、その原因を発見し、めざす姿を明らかにしました
(ブッダは人々を救おうとした)
・ブッダはすべての人々を苦しみから救い「安らぎ」に導きたいと思いました
・そのために「八正道(はっしょうどう)」という教え(方法)を弟子たちに説きました
・八正道は「苦」を滅するための八つの正しい行いです
・「正見」「正思」「正語」「正行」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つです。
・これらすべての方法に「正」の字がついています
・「正しい」とは「真理に合った」・「調和のとれた」考えや見方、行動をさします
・「自分本意」にとらわれて、自分自身を過大評価しないこと、不平・不足・不満などの苦の種をつくらない大きな立場で物事を判断できる人間となることがその意味です
(八正道の説明)
・正見:自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
・正思:自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事
例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること
・正語:恒に真理に合った言葉使いをする事。
社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ
・正行:本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です
・正命:衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと
・正精進:自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしないこと。とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります
・正念:仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること
・正定:心の状態が真理に照らし正しい状態に定まること。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
(ブッダの人柄と生涯)
・これらを口伝(くでん)で弟子達に伝え、諸国をまわって教えを広めていったのです
・ブッダの教えは決して神秘的なものではなく、非常に論理的で科学的とも言える考え方なのです
・教えもさることながら、ブッダの慈愛に満ちた優しい人柄が、弟子達や人々に大きな影響をあたえたようです
・世界最高の仏教学者であった中村元(はじめ)さんの本から抜粋した私のブログで、ブッダの人柄を感じてください
・仏教は大変奥が深いのでゆっくり勉強していってください
・般若心経(はんにゃしんぎょう)は仏教の考え方をもっとも簡潔に表しているお経です。
素顔のお釈迦様(1)
https://kawasimanobuo.hatenablog.com/entry/20131010/p1
素顔のお釈迦様(2)
https://kawasimanobuo.hatenablog.com/entry/20131216/p1
仏陀になった研究者
https://kawasimanobuo.hatenablog.com/entry/20130924/p1