2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
少しづつ春が近づいてきたようです。ここ東北、三陸の被災地にも。一昨日の夜、隣の奥さんがわが家を訪ねてきました。小さなビニール袋を持って。
昨日「あったかいネット・ギャラリー」のブログを書いたら、自身ブルブルッときて、さっそく実行することにしました。プロジェクトの魂(コンセプト)について今日は頭に汗をかいてみます。
ネットで知り合った方々にはデザイナーが多いんです。その方々の独創的な作品にためいきが出そうになることもしばしばです。そして自分自身もほしくて、部屋に飾りたいなと思います。けさ、こんなことをひょっと思いつきました。もしかしたら何かできるかも?
3.11以来、変だな〜と思うことが多くて困ります。変だけならいいんですけど、どうもその「変」が命に関わることが多そうで、なんとかしなくちゃとあせっています。
歌舞伎と映画のコラボはすばらしい!玉三郎さんの演技には実に感動しました。ひとつひとつの動作に含まれた「おんな」のエッセンスが、様々なアングルでよりリアルに表現されています。映像ならではのことです。
私たちは「お金を得る方法」だけを学んできました。「お金の使い方」を学んだ人はほとんどいません。現代の大きな問題点ではないでしょうか?
「宝くじに当たった!」「え〜当たったの。ま〜がっかりしないで。次ははずしてね」「君ははずれたの?」「え〜、おかげさまで」こんな会話がとびかうなら、「幸せな人」のほうがずっと多い社会でしょう。
昨日は彼岸の中日。墓前に供える花を買おうと我が町の巨大スーパー「イオン」に行きました。いつもなら、空港のように広い店内は人まばらなのですが、昨日は大入り満員。レジは長蛇の列となりました。
平成の「浮世風呂」、それは「市民プール」です。というより併設されているジャグジーとサウナが「浮世風呂」みたいな趣です。江戸も今もあまり変わらぬ光景かもしれません。
トヨタの経営戦略ではなく、トヨタの「もの造り哲学」を政治や社会に応用したらどうなるだろう?という夢物語を「未来の民話」として書いています。今日はその最終章です。
アップルが横綱ならSONYの番付はどのへんでしょう?小結?十両?それくらい差が付きました。でも相撲の世界と同じように、返り咲きだって十分ありえます。創業期のあのまぶしい野性さえ取り戻せれば。
3.11の大震災から一年。復興がなかなか進まない原因のひとつには、「ガレキ」の処理にめどが立たないことがあります。他県で受け入れに反対しているためです。ところが別な処理方法もあったんです。ガレキの移動しか解決策がないと思うのは「ちょっと待…
もしすべてが違っているとしたら?「論理的に正しい文章は日本語であれ英語であれ正しいことに変わりない」「同じ絵を見ている中国人とアメリカ人がいれば、彼らの脳裏に映る画像は当然同じものである」これらが。
3,11から1年が過ぎました。進まぬ復興、瓦礫の問題、そして何よりも、未来をふさぎ続けている原発事故。新聞特集を見て、福島の事故に隠れていたわが宮城県の女川原発が危機一髪であったことを再認識し、慄然としています。。。
2500年の未来、日本国は「とよだ国」と名を変え、ユニークな「先進的農業国家」として栄えておりました。それをなしえたのはトヨタ生産方式、いや「トヨタもの造り哲学」の国家的応用にありました。
新分野「民話SF」に挑戦です!はるか未来、幼き子らに、この地の伝説を語り伝える長老がいました。彼が話すのは、私たちの住むこの時代より少しだけ未来のお話でした。
人には居心地の良いサイズがあるようです。それは「集団のサイズ」にもあてはまるようです。昔と今、私たちの暮らす集団のサイズは大きく変わりました。これからはどれくらいが居心地よいサイズなのでしょう。
『ニッポンの風景をつくりなおせ』を買いました。最近NHKで放映され話題となった、あの「田舎限定一次産業デザイナー」梅原真さんの画・写真文集です。そこには勇気ある提案が。さすが土佐の「いごっそう」、気骨あります!
日本の製造技術はまだまだ世界一、だから携帯電話もこんなに小さくなったし、テレビもこんなに薄型に。だけど、お年寄りの使い勝手はますます悪くなるばかりです。
「愉快な町」シリーズは6回目をむかえます。今日は町を支える縁の下の力持ち「地域コンビニ」の話です。人の幸せを育む「愉快な町」がなぜ持続できるのか?その秘密が明らかになります。
多くの観客を集めた熱狂の午後を経て、「三丁目の夕日」第三作も夕暮れの時間に近づきました。私たち昭和20ー30年代初めに生まれた世代には、とてもとてもまぶしい夕日です。なぜまぶしいのか?『小商いのすすめ』という本がとても良く教えてくれました。
天皇陛下の心臓手術が無事終わりホッとしました。私は皇族崇拝人種ではありませんが、最近の天皇陛下のお顔つきがとても柔和になられ、親近感を感じます。