多くの観客を集めた熱狂の午後を経て、「三丁目の夕日」第三作も夕暮れの時間に近づきました。私たち昭和20ー30年代初めに生まれた世代には、とてもとてもまぶしい夕日です。なぜまぶしいのか?『小商いのすすめ』という本がとても良く教えてくれました。
私は大いに共感しました。
『小商いのすすめ』というこの本、新商売のノウハウ本じゃないんです。
帯にはこんなコピーが書かれています。
「日本よ、今年こそ大人になろう」
大震災、「移行期的混乱」以降の個人・社会のあり方とは?
政治家も経済学者も口にしない、「国民経済」復興論
「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ
著者の平川克美さんという方は、昨日のブログに登場した内田樹(たつる)さんの盟友とのことで、スタンスや発想にはとても近いものがあります。
平川さんは昭和25年生まれ、私は昭和28年生まれですからほぼ同世代。その発想は、やはり「三丁目の夕日」の時代に色濃く影響されています。
あの時代はたしかに良かったんです。単なるノスタルジアとしてではなく。
それは何か?なぜなのか? この書物はそれをわかりやすく紐といてくれます。
彼は言っています。
あの時代の宝とは、貧乏ゆえの「強さ」であり「野性」であったと。
彼の語る「貧乏」とは、相対的に金が少ないとか、不自由かつ卑屈に暮らすといったこととは全く異なるものです。
逆に、今後の私たちの幸せ社会のために、今とても必要な「豊か」な概念としてとらえています。
それを分析したうえで、私たちが囚われている「無理な増殖経済モデル」から「バランス(均衡)を重視した縮小経済モデル」を提案している本です。
貧乏がおとなをつくった
長々と戦後昭和の光景を点綴(てんてい)してきましたが、そろそろこの章の締め括りをしたいと思います。一九六四年、つまり東京オリンピックのあった昭和三十九年以前の東京と、それ以後の東京、いやそれ以前の日本と、それ以後の日本には明確な断絶があります。
その断絶とは何なのかというのがこの章の主題です。
それは、ひとことでいえば、経済と精神のポジションが逆転したということです。
モノとこころの順番といってもよい。あるいは、こどもとおとなといってもよいかもしれません。
これでは何のことかわかりにくいと思いますので、以下にご説明いたします。
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明治維新後、西欧先進国家にキャッチアップしようと近代化の一途をたどっていた日本は、大量の人間を都市部に流入させることになりました。東京は世界でも有数の大都市に発展していくわけです。
しかしその東京は、大正十二年と昭和二十年の二度にわたり、壊滅的な打撃を受けることになります。関東大震災と、敗戦ですね。わずか二十年のあいだに、都市部全体が焼野原になり、瓦礫の山が築かれるという経験をしているわけです。
二度にわたって壊滅的な打撃を受けた都市というものも近現代史のなかでは稀有なことですが、その大きな災厄からこれはど短期間で立ち直り活気を取り戻した都市というのもほとんど類例が無いのではないでしょうか。
昭和という時代、それも東京オリンピック前の時代の日本は、この瓦礫の焦土から国家のかたちを再び整えるまでの戦後二十年間(一九四五〜一九六四年)であったわけです。
ちょうど人間が生まれてから成人するまでの時間の帯のなかで奇跡的ともいえる復興を遂げます。
考えてみればわずか二十年であり、このわずかのあいだに目覚ましい戦後復興がなされたというのは驚くべきことです。
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そして、この復興で特筆すべきは単にハイスピードで復興したということではなくて、その復興のしかたに類例の無い特質があったということだろうと思います。わたしは終戦から五年目に生まれていますので、ある程度復興期の空気を吸い込んで育ちました。
類例の無いという言い方は、あるいは適切ではないかもしれません。ドイツでも、イタリアでも復興のプロセスは急ピッチで進んでいたからです。
ただ、わたしは、この頃の日本人が貧乏暮らしの中で、それを苦にするどころかむしろ楽しみながら日々を継いでいたことに、注目したいと思います。同時に、なぜかれらがそれはど明るくいられたのかについて考えてみたいと思うのです。わたしが類例の無いと言った特質は、この明るさのことです。
なぜ、昭和は明るかったのか。
それを知るためには、もう一度焼け野原の東京に降り立って、そこに何が残っており、ひとびとが何を考え、どのように日々を継いできたのかを見てみる必要があります。
この時代を特徴付けるものはさまざまあります。中産階級の出現と勃興。朝鮮半島の動乱にともなう景気の上昇。ソニーやホンダに代表されるものづくり企業の設立と躍進。家族の団欒風景。街頭テレビに群がるひとびと。毎朝行われた地域のラジオ体操。町内会の結束。数え上げればきりがありません。
わたしは、こういった戦後昭和を特徴付ける風景の背後に通底するものとして、貧乏というものがあったと考えています。
日本は、どんなに急速な近代化のなかにあったとしても、西欧先進国との比較でいえば、まだまだ東アジアの貧乏な島国であったということです。
そして、貧乏であるがゆえに輝くものもあったということなのだと思います。
橋本治さんに大変面白いタイトルのエッセイがあります。『貧乏は正しい!』(小学館文庫、一九九七)という意表を衝いたタイトルのエッセイです。
この本は、漫画誌「ヤングサンデー」紙上に連載されたものをまとめたもので、資本主義の最も脆弱な部分がなにものであるかを、青年向けにメタフィジカルに解明した大変ユニークな本(とわたしは理解しています)ですが、その中にこんな記述があります。
「貧乏でも自分には力があるから平気」と言うのが人間の強さというもので、これを捨てたら、人間おしまいである。「若い男が貧乏であるということは、人類の歴史を貫く真実で、そしてこのことこそが人類の未来を開くキーだからである」というのは、社会生活というものを営むようになってしまった人間の本質は「若い男」であって、若い男は強く、そして若い男は強くあらねばならないという、それだけのことである。強いんだから貧乏でもいい、なぜならば、「富」とは、その「強さ」の結果がもたらしたもので、自分の弱さを隠蔽するために「富」という武器を使ったら、その人間社会は根本を衰弱させて滅びてしまうという、それだけの話なのだ。
面白い見方ですね。いろいろな読解が可能な文章ですが、貧乏な日本は、ひとつの強さでもあり、それこそが戦後日本の美質でもあったと読めると思います。
ちなみにわたしが生まれた昭和二十五年の日本は、朝鮮戦争が勃発した年であり、人口が八三二〇万人(千人以下は四捨五入)と、十年前より一〇〇〇万人増加しています。
人口減少は将来に対する不安というのが、現在の人口減少現象に対する大方の見方ですが、実際には不安が最大化するような戦争を挟んでもこれだけ人口が増加しているのです。
さて、上記の橋本治の文章のなかで、わたしが注目するのは、若い男とは貧乏なものであり、同時に強いものであると言っていることです。とくに、若い男がもし、自分の強さを表現するために、富というものを使ったらその社会は衰弱することになるという考え方には強い吸引力があります。
すこし、わかりにくいかもしれませんが、わたしはこれは大変に面白い着想であり、さすがは天才橋本さんだと唸りました。
かれはここで、進歩とか発展という観念は、貧乏という状態のなかにしかないと言っています。
具体的にそう書いてあるわけではないのですが、行間から滲んでくる思想は、そういうことだと思います。ここでいう貧乏とは、具体的に金がないとか、陋巷(ろうこう)に暮らすといったことを意味しているわけではないのです。
富とは「憧れ」であると同時に「恐怖」
貧乏とは若さの別名であり、それは強さとか美しさといったこととも同義であるべきだということであり、人間の本源的な強さというものは貧乏という裸の人間の中にだけ宿っているということです。
別の言い方をすれば、野生ということです。
進歩とか発展とは野生のなかにしか存在しないと。
富という武器を手に入れると、その瞬間に人間は、もう若さを失ってしまうし、進歩や、発展ということとは無縁の存在になるということです。
ここに、橋本さんならではの逆説が潜んでいます。
富は、誰もが憧れる欲望の対象ですが、いったんそれを手に入れたら人間は最も大切なものを失ってしまう。逆に言えば、富を手に入れるためには、人間は最も大切なものを諦めなくてはならないということです。
富とは憧れであると同時に、恐怖であらねばならないはずのものだということです。富を貨幣と言い換えても同じです。
なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。
このことをわたしたちは、本当は知っているはずなのです。通俗的なたとえをするならば、富を手にしたボクサーは、もう以前のように野生をむき出しにして闘うことはできなくなる。野生をむき出しにする必然性が失われているからです。
ボクシングがハングリースポーツと言われるのは、まさにこの富と野生の関係を言い表しています。それは、ボクシングに限ったことではないのです。富と野生がトレードオフの関係にあるということは、誰でもが経験的に知っている明白なことだろうと思います。
しかし、あまりに明白で、何度も目にしているあたり前のことは、しばしば視線が素通りして見過ごしてしまうものです。
日本人のみずみずしい野生
もうおわかりだろうと思いますが、わたしが言う、昭和初期のおとなとは、いまだ富を手に入れていないひとびとであり、それゆえ野生と若さを身体の中に蓄えていたひとびとのことだということです。
当時の日本の社会はそういったひとびとによって支えられていたということなのです。そして、階級格差の少ないアジアの島国では、関川夏央さんが言ったように、誰もが共和的に貧しく、それゆえに明るくいられたのだと思います。
かれらの社会の価値観の中心にあるのは、美しさということであり、富を蓄えるということではありません。
富はただ欲望の対象でしかないのです。この美しさの表象のひとつが、貧しさの中の帽子だったのかもしれません。
そして、その帽子の下に隠されていたのは、日本人のみずみずしい野生だったのです。
しかし、かれらが富を手にし始めた頃、つまり一家にテレビ、冷蔵庫、洗濯機、クーラ、自動車などが揃い、こどもひとりひとりにこども部屋ができ、主婦たちが家事労働から解放されるころから、日本人から野生が消えていきました。
その民主化のプロセスのなかで、じりじりと出生率が下がり始め、経済成長率は頭打ちになっていくことになりました。
本日は、同世代として実に共感する本の中から、一部だけ抜粋紹介させていただきました。
金のあるなしとは全く別な観点から「貧乏」の積極的価値を教えられました。
それは「野性としての貧乏」「強さとしての貧乏」「美としての貧乏」でありました。
私たちが子どもの頃に、あの貧しさのなか、親たちのどこに私たちを大学まで行かせてくれるようなバイタリティーがあったのか。
私たちの世代は、昭和の貧乏という明るい野性によって育てられたのです。
さらに悪いものとして無意識に植え付けられたしまっている諸々の言葉、過去に置き去ってきた無価値とされる言葉や考え、こうしたものへの再評価こそ、新たな価値の源泉になるのだということを感じました。
思い起こせば、「ルネッサンス」もまさに同じ「古代への文芸復興」でした。
私たちの置かれている中世的状況とは何か?
それは黒衣をまとった神官の世界ではなく、デジタル情報や効率だけをあがめ奉る「IT社会」や「グローバル経済社会」かもしれないのです。
参考
現代のロビンソン・クルーソー
「Newbinboビジネス」迷想
「豊かで愉しい貧乏」探求
「下山の思想」より
三丁目の夕日と「今」