天皇陛下の心臓手術が無事終わりホッとしました。私は皇族崇拝人種ではありませんが、最近の天皇陛下のお顔つきがとても柔和になられ、親近感を感じます。
3.11の被災地へお見舞いにいらしていただいた時も、とても丁寧で被災者に寄り添う接し方をされておられました。
皇族に生まれた宿命を背負う人生に粛々と耐える姿に、恐縮ですが同情を感じてしまいます。
柔和な顔になられたのは前回の手術の影響もあるでしょう。お歳相応の達観もあるでしょう。
おばさん的な風貌に近づいたことに、私はとても心が和みます。
風貌だけでなく、考え方も柔和であられます。
2004年の園遊会で、招待されたあるプロ棋士と天皇陛下がこんな対話をされました。
「日本中の学校にとにかく、国旗を揚げて、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
「あー、そうですか」
「今がんばっております」
「やはり、あのー、あれですね。その、強制になるという、ことでないことがね」
「あっ、はいはいはい。もう、もちろんそう、は、は、は」
「あのー、望ましいと…」
「ほんとうにすばらしいお言葉をいただきまして、ありがとうございました」
天皇陛下ご自身と天皇陛下を崇拝する人との間には、考え方に大きなギャップがあるようです。
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さて、今「日本の文脈」という本を読んでいます。
最近様々なところで引き合いに出される思想家「内田樹(たつる)」さんと中沢新一さんの対談集です。
その本の中で、彼らは自分たちを「男のおばさん」であり「男でおばさん」であると言っていました。
それがどんな社会観に通じていくのか、一部ご紹介したいと思います。
おじさんは世界をめざす
内田 いまの日本て、「女のおばさん」が減ってるでしょ。どんどん「女のおじさん」化している。おばさんがいなくなったことが、日本の問題なんじゃないか。
中沢 だから僕たちがおばさん化していく。
内田 女の子に向かって「おばさん化しろ」とは言えないですからねえ。女の子はおばさんになることを嫌がってるんです。それは仕方がない。じやあ、僕たちがおばさんになります。日本のおじさんは、もともとはおばさん的なんですよね。「正しい日本のおじさん」は女性ジェンダー化するもんです。父権的に終始威張っている男って、日本では傍流でしょ。
中沢 九州男児だって必ず強い妻がいますね。奥さんが抑えてないと男はダメですね。
内田 恐妻家はおばさん化しますね。オバマ大統領は、おばさんですね。彼は女装しても結構イケると思う(笑)。二十一世紀は、おばさんの時代というか、おばさん的キャラクターが求められる時代だと思う。おじさんにはプリンシプルがある。世界理論がある。「俺らの相手は世界だ」っていう。あれ、邪魔なんですよね。おばさんは世界なんか相手にしない。相手にするのは町内会。ローカルから始まるのが、おばさん。一気に世界をめざすのが、おじさん。
中沢 アレキサンダー大王じゃないんだから(笑)。
内田 おばさんは自分自身が語る言語のローカリティを自覚してるけど、おじさんは自覚してない。ローカルなくせに、いきなりユニバーサルなことを言い出す。
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内田 日本人は、結局それしかないと思うんですよ。おのれのローカリティを徹底して、はい、こんなにローカルなんですって言い切って、さらにおのれのローカリティを相対化できる言語を持っていれば、それこそ世界性でしょ。
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内田 日本人って、女性ジェンダー化しているときに、いちばんパフォーマンスがいいんじゃないかな。「俺は男だ!」って意気がると、ろくなことがない。おばさんは保守だし、おばさんは革命なんて、絶対やらないし。
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ギリシャ時代、戦乱続くアテネで劇作家「アリストパネス」は「女の平和」という戯曲を書きました。
戦争ばっかりする男たちに愛想を尽かし、敵同士であるアテネとスパルタの女たちが連携し、マ?ストをして男を欲求不満にさせて戦争を止めさせるという話です。
これを読んで、原発に執着する好戦的な(たぶん同類ですから)男たちに、日本の女性たちも母性の立場から「NO!」を突きつけてくれたらいいな、と思いました。
私も「おばさん化」して、こんな運動を後押ししたいものだとも思います。
男はいつまでも子どものまんま。おばさんには子どものような男たちにこう言ってほしい。
「男たちよ、大人になってもおもちゃを作り続けたい気持ちはよくわかるわ。だけど、おなかの子どもらに悪影響があるおもちゃは作っちゃだめよ。なにごともしていいことと悪いことがあるでしょう。遊びは安全だから遊びなのよ」
「さ〜、わかったら別なものでお湯を沸かしなさい!そうするまで一緒に遊んであげませんからね」
参考(内田樹(たつる)さんのお話を引用しているブログです)
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パソコンと脱原発