坂本冬美さんの「岸壁の母」

 坂本冬美さんのコンサートを録画で見ました。彼女が歌うというか語る「岸壁の母」から目と耳をそむけることができませんでした。
 それほどの熱唱でした。

 とてつもなく心が入ってました。

 恩師である二葉百合子さんから受け継いで歌っているのだそうです。

 そしてはっきりと「厭戦」の気持ちを語り、歌い始めたのでした。

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 この歌は切実です。

 なにせ私にとって身近な人々のノンフィクションです。

 私の老父も、すでに亡くなった女房の父、幼なじみの父、高校同級生の父もみな、シベリアから舞鶴港に帰ってきたのです。

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 実際に戦争に征ったのは、もう90歳以上の方しかおりません。

 もういちど私たちの父が生きた時代を想像してみなければと思います。

 勇ましき言葉を一旦とめて、もういちど一兵卒であった父たちの悲惨、家族の痛み、悲しみ、絶望を追体験してみなければと思います。

 そこから再び紡がれる言葉や思想は、いったいどんなものになるでしょうか。

 言葉が出発すべき地点は「始まる前」ではなく「終わった後」にあると私は思うのです。

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 思っていたとおりの不安が急速に現実になっていくことにびっくりする今日この頃です。

 為政者が「征かす側」であった祖父の思いを受け継ぐように、

 私たちも「征かされる側」であった父の思いを受け継いでいかなくてはと切に思います。

 とてもつらいのですが、このような「厭戦」のブログを書かなければという義務感を、最近痛切に感じるのです。


(香月泰男 かづきやすお シベリア・シリーズ「点呼」)

ノボ・アーカイブス

『詩集ノボノボ』より

いくさの話

 もう何百回 聞いたことだろう

 父の戦争体験記 シベリア抑留記

 そして帰国後のあれこれ とまどいを


 終戦の前の年 学徒動員やらで

 貨車に 貨物船に 家畜のように積みこまれ

 博多へ そして北朝鮮へと送りつけられた 

 二十歳の初年兵 父

 ロシア軍機 機銃掃射の音 逃げまどう父

 凍ったシベリアで 銃殺される 

 仲間だった 脱走兵


 あまりのひもじさに

 毒セリと知らずに食べて

 もがき死ぬ 捕虜仲間 


 四年後 帰されて 教員となり

 社会科を教えろと言われても

 天皇陛下万歳から

 民主主義の世の中へ 変化が強すぎて

 シベリア帰りじゃ 追いつかない


 そのうちに結核になってしまった

 戦争 シベリア 病棟

 これだけが 父の青春

 生きて帰れただけ 幸せではあったが


 だからかな〜 

 私は とても拒絶反応が強い

 「正義のために戦う」という言葉


 だいたい 変なことだらけ

 どこの国でも いつの時代でも

 「戦え」という人は 「戦えない」老人だけだ

 「戦う」人は 何も言わない

 臆病者と言われたくないしな〜

 そして 死んでいく


 変なことの きわめつけ

 「戦う」に 「負け」は入っていない

 これって 当たり前だろうか?

 半分の確率で

 どちらかは 必ず「負け」のはず


 「いくさ」を肯定する人は

 とっても 無責任じゃないかな〜

 負けたらどうなるかって

 とどの最初から 考えに入れてない


 いっそ こうなればいい

 戦士の年齢は 五十歳以上

 自称愛国者から 前線へ

 女性の愛国者も 前線へ

 もちろん もうあがった人だけ

(2012.10.31)

 →ノボ村長の「詩集ノボノボ」