民話SF「とよだ国の物語」第一章

 新分野「民話SF」に挑戦です!はるか未来、幼き子らに、この地の伝説を語り伝える長老がいました。彼が話すのは、私たちの住むこの時代より少しだけ未来のお話でした。

民話SF

「とよだ国の物語」第一章

 人の世は幸いにも絶えずして、その慣習もまた生き残りけり。

 西暦2500年のはるか未来の話である。

 驚くことに、2012年の今と同じように、お年寄りが幼き子らに民族の伝説を伝える習わしはすたれていなかった。

 いや、すたれる寸前だったのは2012年頃のほうだった。

とよだ国の興り

 さて、幼き子よ。よ〜く聞きなさい。わしが今から語るのは、約500年前のこの地のことじゃ。

 その頃、この地球は大変動のはじまりを迎えようとしていた。

 われらが「とよだ国」、当時の「日本国」にも大きな異変が生じていた。

 なかでも3.11と呼ばれる大災害は、大津波やら500年後の今でも管理せざるを得ない原発事故やらで、この国の進路を大きく修正することにつながった。

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 3,11の10年後、「日本国」は「とよだ国」として生まれ変わった。

 世界の主要な国家は、何度も続く世界的大災害や、それに伴う経済危機によって破綻寸前になった。日本国もそのひとつじゃった。

 国民は選挙で思い切った決断をした。

 「松下政経塾」ではなく、その頃できたばかりの「トヨタ経営塾」出身者のほとんどを国会議員に選出した。

 世界に定着したトヨタの管理技法をそのまま国政に応用してほしいという、最後のあがきにも似た選択じゃった。

 トヨタ一門の彼らは、まず国名を「とよだ国」に改めた。

 これがわしらの国名のルーツなのじゃ。

「just in time」国家

 トヨタという会社は独自の生産管理方式をあみだした会社じゃ。そのころまで主流だったフォード式大量生産方式とはまったく逆のことをして大成功をおさめた。

 なかでも有名なのは「just in time」じゃ。

 トヨタは20世紀に起こった太平洋戦争後の日本で、一時倒産の危機に追い込まれた。

 背水の陣ともいうべき覚悟で、首脳陣や工場管理者は先進地アメリカへ視察に行った。

 そのとき、「オオノ」という傑出した工場管理者が着想を得たのは、自動車工場ではなくスーパーマーケットであったのじゃ。

 在庫を許容し、車を効率的にどんどん生産しようとする生産方式に対して、スーパーマーケットは在庫を認めなかった。

 それは、「ほしいものを、ほしいときに、ほしいだけ」次工程がひっぱるという「just in time」生産方式への大きなヒントになった。

 この方式を実現する道具が「かんばん」とよばれる「生産指示票」だった。

 単なる前工程への大きな注文カードなのだが、これだけで絶大な効果を果たすことになった。

 この時代「トヨタ」のすごいところは、革命的ともいえる従来とは真逆の生産方式を採用した、というところにあった。「オオノ」はもちろん偉いが、許可した経営陣も偉かった。

 なにせ「トヨタ生産方式」とは「生産方式」とよぶべきものではなく、「生産哲学」「ものづくり哲学」とよばれるべき「偉大な思想」であり、それを実業に即とりいれることなど、よほど肝っ玉がすわっていなければできなかったことであったろう。

 さて、話を戻そう。

 「とよだ国」は国の産業すべてを「just in time」にしようと考えた。

農業は都市部の産業に

 21世紀は金融グローバリズムが吹き荒れ、破綻し、食糧危機が頻発した。

 そんなわけで「とよだ国」は、「農林水産業」を国の基幹産業におき、先進的農業国家をめざすことにしたのじゃ。

 この時より、世界のトヨタは「製造業」ではなく「農業」こそ本分となった。

 彼らの課題は、農業を「just in time」にするにはどうするか?だった。

 その結果、彼らは「工業的農業生産方式」を創造した。

 都市部は垂直の農園なのである。

 高層ビルの壁面には垂直に作物が成る。高層ビルの壁面材質が土壌と同様の機能を果たすやり方を開拓したのだ。

 日照や水やりなど生育管理はコンピューターで行う。
 
 エネルギーは従来の農業と同じく、太陽電池やら風力発電やら自然の恵みをもらっている。

 壁面作業はトヨタのロボットが行っている。「HYAKUSYOU5型」でやっと実用化のめどが付いた。

 今君たちが眺めている、この「垂直田園地帯」は、その当時「東京」と呼ばれていた。しかも多くの人が集中するこの国の中心地だったんじゃ。

 げに時の流れとは無常なり。。。

人々は山に暮らす

 「とよだ国」は実に賢明な政策を考え実行したと思う。

 あの時代、もしトヨタ流の改革を実施しなかったら今のこの国、いや世界はもう昆虫の世界になっていたかもしれない。

 何よりもわしが君らに伝えておきたいのは、「とよだ国」の創始者たちは「効率至上主義」のようにみえて、そうではなかったということなんじゃ。

 彼らの基本は「人間の顔をした改善」を行うことにあったんじゃ。

 後で詳しく話すが、彼らはトヨタが自動車製造業であった頃からこんなコンセプトで改善したいた。

 「自動化」ではなくて「自働化」

 これを「にんべんの付いたじどう化」というんじゃ。

 機械に任せきりではなく、機械には人間の補助をさせるという考え方じゃな。

 驚くことにトヨタは、自動化全盛期の頃、全自動溶接ロボットを廃止して、半自動装置に格下げしたラインにしたのだ。

 このほかにもいっぱいあるから後の楽しみにしておきなさい。

 ということで、「とよだ国」は「人間の顔をした国つくり」をめざした。

 その結果、「人は風光明媚かつ多様性に満ちあふれた自然と暮らし、そこから知恵も改善の着想も得るべし」というコンセプトを掲げた。

 自然をもっとも大事にすることが当然の我々には、500年前の先祖の発想、つまり自然を壊し続けることを何とも思わないという野蛮さが信じられないことではあるが。。。

 今や、私たちの住居は山間部にあり、日々の糧である食料は昔の都市部で生産され、工業製品は地下でロボットによって製造されるというわけじゃ。

 今日はここまでじゃ。つぎに会うときは「多機能工社会」「助け合い型生産システム」などについて話して進ぜよう。

(注)トヨタ生産方式については、1980年代半ば頃の情報を元に記載しておりますことをご了承ください。