3,11から1年が過ぎました。進まぬ復興、瓦礫の問題、そして何よりも、未来をふさぎ続けている原発事故。新聞特集を見て、福島の事故に隠れていたわが宮城県の女川原発が危機一髪であったことを再認識し、慄然としています。。。
私は強烈な反原発の人間です。
放射性廃棄物の問題だけを考えても、人間というより生き物として、やってはいけないことをしていると思います。
そんな私ですら、放射能は目に見えないし、シーベルトやらベクレルやらそういう単位が実感としてぴんと来ず、わからないことだらけです。
3.11から1年になるということで、新聞も特集を組みました。
私は、朝日新聞が特集した図解記事を見て、今まで以上に慄然としました。
福島の原発事故は大変な被害を今も及ぼし続けていますが、女川原発も間一髪で大惨事を偶然免れたということが、あらためてよくわかったからです。
こんなことを堂々と言うエライ人たちがいます。
「福島以外の原発は、今度の地震や大津波に十分耐えた。安全性が証明されたと言ってもよい」と。
こういうことを詭弁(きべん)というのではないでしょうか。
耐えたのではありません。偶然助かったのです。
そして、もし女川原発で外部電源五回線中、唯一残った一回線が失われていたら、もう少し高く冠水して、ディーゼル発電機が停止していたら・・・
これらが起こらなかったのは、起こりえずして起こらなかったのではなく、まさに「偶然起こらなかった」からです。
もし、この間一髪の偶然が悪い方に少しでも傾いていたらいったいどうなったことでしょう?
私は福島以上の大惨事になったと一瞬にして想像できました。
なぜならあの日、女川、石巻、南三陸などは、津波により最大の被害を受けていたのです。道路も通れなかったのです。
もし、女川原発で福島のような惨事が発生していたら、それらの地域に住む住民の避難はとても大変で、何十万人が大量の被爆をし、津波の犠牲者の捜索も何もかも不可能であったことでしょう。
大変な数の住民、もしかして私自身ですら見殺しにされざるを得ない3.11の日の状況でした。
さらに福島原発も、当日も行われていた原発施設の建設工事の偶然の不手際により、使用済核燃料プールに大量の水が漏水したおかげで冷やされ、大惨事を免れたということが最近やっと報道されました。
もしこの幸運の(?)不手際がなければ250キロ圏内避難、つまり東京も含め民族緊急大移動という、日本歴史上最大の惨禍が起きただろうと報道されました。まさに民族的存亡が間一髪の状況だったわけです。
災害対策について、たとえば原子炉のお釜の強度だとか、予備電源だとか、個別対策の充実だけ強調されますが、本当に怖いのは「複合災害」が起こりうるということです。
ディーゼル発電機が動いても、道路が陥没してしまえば補給もできず燃料が切れれば終わり、人が原発施設ですべて死亡したら、あらゆる対策は不可能。
女川原発では実際に重油タンクが倒壊し、600kリッターも重油が流出しました。それが海や陸で大火災を起こせば、人間すら近づけない。
原発事故が複数地域で起こった場合、同時に東京都も猛烈な地震災害に遭った場合など、重なりが二つも三つも起こることは十分考えられることです。
個別の安全対策をいかに強固にしても完璧はあり得ません。複合災害は起きやすく、その組み合わせは無限にあるからです。
私たちが3.11から学ぶべき最大の教訓は、「絶対の安全は絶対にない」ということです。
ならばどうする?
「どんなに欲しくても、致命的なことは選択できない」ということです。
国を地球を、自分の家や家族として考えたらみんな理解するはずです。
いくら熱がよけいでるからといって、ロケット燃料をストーブの燃料にすることを選ぶ人はいないでしょう。
もしいたとしても家族が許さないでしょう。
そして、ロケット燃料提案のその人は、危険人物として社会から隔離されるでしょう。
いったい今だれが、社会から隔離されて当然の人たちなのでしょうか?