トヨタの経営戦略ではなく、トヨタの「もの造り哲学」を政治や社会に応用したらどうなるだろう?という夢物語を「未来の民話」として書いています。今日はその最終章です。
前回までの話はこちら
→民話SF「とよだ国の物語」第二章
→民話SF「とよだ国の物語」第一章
民話SF
「とよだ国の物語」最終章
人の世は幸いにも絶えずして、その慣習もまた生き残りけり。
西暦2500年のはるか未来、長老が子どもに話す昔話である。
助け合いがベースの社会
21世紀の時代、その頃の人々はみな、トヨタと聞けば「効率教」の元祖と考えていた。そのグローバル戦略をイメージして。
経営戦略、営業戦略はそうであったかもしれない。
しかし、現場に根付く「もの造り哲学」は、実は人間中心主義であった。
その例はトヨタ式一個作り生産方式「U字ライン」にみることができる。
なぜ「往復直線ライン」ではなく「U字ライン」なのか?
無駄のない多機能工一人生産ラインならどちらでもいいはずだ。
トヨタがあえて「U字ライン」にしたのには深い理由があった。
それは「U字ライン」同士の入り口出口を接近させて「Sの字」にすることがその眼目であった。
それは、もし隣の「U字ライン」で突発トラブルが生じたり、遅れが生じたりしたときに、互いに相手の「U字ライン」に入って助け合うためであった。
実は「助け合える」しくみこそ最も効率的であったのだ。
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「とよだ国」は、その考え方を社会の基本とした。
どのようにしたのか?
彼らは、社会の最小構成要素を「個人」あるいは「家族」から、「新隣組」システムに変えたのだった。
「新隣組とは、「生活」と「職場」それぞれの場毎に、各人がそれぞれ2名づつの「助けあえる仲間」である「新隣組」を必ず持つ、とともに自分も誰かの「新隣組」になるという相互扶助社会制度である。
「新隣組」は個人単位でも家族単位でもかまわない。さらに各人が自由に選ぶことができるし、途中で変更してもよい。
ただしこの制度は法律で定められ、「とよだ国」では必ず守るべき第一義の制度なのである。
この制度により、人はかつてその住む場所、経済状態、性格、その他諸々の事情のために、やむなく孤独や極端な生活苦などに陥っていた状況から逃れることができるようになった。
「とよだ国」はこう考えたのじゃ。
「特定人の個別最適よりも、全体最適が望ましい」と。
「少なくても基幹部分では」とも。
目で見る管理の社会
極端なたとえ話をすれば、かつてのトヨタの工場では小学生すら安全に能率よく働けたかもしれない。
なぜなら、その基本は小学校で生徒に実践させていることと似ていたからじゃ。
「目で見る管理」とは、異常・正常がだれでも一目ですぐにわかるしくみのことだ。
それは「かんばん」であったり「アンドン」であったり、「赤札」であったりする。
「かんばん」とは読んで字のごとく、「何を何個欲しい」ということを見せる表示板である。また、今これくらいまで行ってるよ、という進行状況を示す表示板であったりもする。
「アンドン」とは赤ランプのことである。異常があれば作業者はラインにすぐ赤ランプを点滅させる。
誰でも異常がすぐわかる。みながすぐ集まる。そこで原因を特定し対策を打たない限り、絶対に機械を再稼動させないというしくみである。
「赤札」とは「不要・不急」のものに付けられるレッテルである。定期的にみなでパトロールしながら見つけて貼っていく。
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さて、本題じゃ。いったい「とよだ国」はこれらを何に応用したのだろう?「とよだ国」が生まれた500年前の2020年頃の「日本国」では、あの伝説的悪夢「3.11原発事故」の後遺症がまったく癒えないのに、性懲りもなくまたも原発国家に戻ろうとしていた。
トヨタの「もの造り哲学」においては「個別最適」よりも「全体最適」が優先する。
彼ら「とよだ国」の創始者たちは、原発を、発電力では「個別最適」だが、社会維持の観点では「全体最悪」と考えた。
そこで彼らは科学の力を大いに「目で見る管理」に発揮した。
「ガイガーカウンター連動ゴーグル」を発明したのじゃ。
これで見ると、放射性物質があるところは蛍光色を発する。
国民はとても驚いた。とても多くの場所で蛍光が見られるのだ。誰でも一目で「邪悪な異常」がわかるのだ。
その結果、女性を中心に不安が拡がり、猛烈な反核、反原発運動がわきおこった。
政治家や大会社の経営者などの原発推進論者は、その妻や子どもなどから大変な非難を浴びることとなった。
このゴーグル発明以来、原発や核兵器に対する拒絶反応は全世界の国民に共通の感覚となっていった。
その後原発全廃までには10年くらいかかったが、人類はようやく「地球全体最適」の考え方に変わっていった。
もちろん、その当時原発に大きな赤紙が貼られたのは言うまでもないことじゃ。
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今日はここまでじゃ。もっと話すことはあったが、わしももう歳じゃて。。。
また聞きたいときにはわが家へおいでなさい。
(注)トヨタ生産方式については、1980年代半ば頃の情報を元に記載しておりますことをご了承ください。