未来の希望「年寄りネット」

 高齢化社会の加速。年金は先細り。年寄りを支える若年層が減っていく。未来はますます暗そう。。。こんな記事がいっぱい。でもこの話って、お年寄りが役に立たないお荷物、という偏見のうえに成り立っていませんか?
 このまま高齢化が進むと、日本では2055年には、65歳以上の年齢層が人口の40%に達するようです。(現在は22%くらいです)

 この予測の行き着く結論はこんなことでしょう。

 ・平均収入は減少していく
 ・年金はあてにならない社会になる
 ・65歳以上もずっと働く必要がある

 でも、私はあまり悲観的にはなっていないんです。

 そもそも、「生命活動=しごと=人生」ではないのかな?と思っているからです。

 なぜ65歳以上はいっせいにリタイヤ、という風潮になったのでしょうか?

 それは一社専業サラリーマン社会になりすぎたせいでしょう。

 自営の人とか芸術家とかなら、リタイヤの時期はそれぞれ違っていたり、あるいはまったくなかったり、ということが普通だと思うんです。

 さて、私の妄想的未来予想です。

<ネットの主役は高齢者>

 現代の時点で若者と年寄りの労働におけるギャップといえば、それはパソコンやインターネットに対する知識、技能や熟練度でしょう。

 でももうすぐ、IT機器は車の運転と同じで、年寄りだから操作できないという時代ではなくなります。

 今この時代でネットバリバリの働き盛りが高齢化していくわけですから。

 そうすると、近い将来ネットビジネスの主役は高齢者が担っていくことになるでしょう。

 なぜならネットビジネスというものは、ITの基本的スキルより、人対人の取引について実際的な知識やノウハウがより重要だからです。

 それは経験を積んだ人間、つまり年寄りが若者より有利ということにつながります。

 企業するにしても、ある程度のお金を持っているお年寄りのほうが実行しやすいでしょう。

<年寄りと若者のコラボが増える>

 若者と比べ、ビジネス能力が高まっている状態のお年寄りは、逆に生産年齢と呼ばれる若者たちを支援する側になっていきます。

 なぜなら若者は勤める場所がとても少なくなったり、野性が年々減少しているため、思い切ったことができず仕事にありつけない人も増えるからです。

 社会的な必要性として、お年寄りと若者のコラボによる起業が促進していくでしょう。

 それは単にネットのバーチャルだけで終わるビジネスではなく、リアルをよりよく加速するビジネスとなっていくことでしょう。

<レトロビジネスが復活する>

 個人起業によるネットビジネスの特徴は何か?

 それは、今の時代、ネットビジネスの対極にあると思われている「レトロなもの」「人間くさいもの」「自然と関わるもの」などです。

 ターゲットは「子ども」「お年寄り」「弱者(いろんな意味での)」となっていくでしょう。

 こんな時代になると、ネットやITは本来の「道具性」を取りもどし、リアルのためのひとつのツールという役割に落ちついて行きます。

 やがて、ネットで種をまいた広くて小さな共同体が、リアルの取引を活発化させていきます。

<「お金」の流通が変わる>

 ネットとリアルが同期した小さな社会においては、従来の「お金」の解釈や流通の仕方が変わっていきます。

 「現物」「交換」の要素が価値を増し、お金は「実体価値交換」の手段であるという考え方が強くなっていきます。

 人が生きるということは、せんじつめると「一日2500キロカロリー」を確保するということです。

 そのために必要なお金というのは、何十万円という単位ではないわけです。

 極端にいうと、数千円のお金が常にかせげて、常に生命を維持するものを買える状態にあって、少額のお金が退蔵されずに常に廻ってさえいればそれで十分なはずです。

 これら「地域通貨」的な発想で運営されるネットリアル共同体もきっと「ニュービジネス」「新社会」として具体化されていくでしょう。

 こういうしくみがたくさんできると、収入が減っても逆に暮らしやすい社会が生まれる可能性もあると思います。

<「独立人」ルネッサンス>

 会社というものに過度に依存しすぎている社会、それは低成長時代、変動がより大きくなる社会においてとても危険です。

 来たるべき未来、つまり「働き続ける未来」に向かって、私たちは今、会社員でありながら「複業化」をめざしていく模索がとても大事だと思うんです。

 そのためにネットやITをどう利用していくか考えることが大事だと思うんです。

 その模索から生まれるビジネスは、今までの効率一辺倒社会のビジネスの反省をもとにした、もっと「ゆるやかで」「あたたかくて」「かんたんで」「ちいさなもの」がきっといいはずです。

 「生命活動=しごと=人生」なら、わたしたちの活動のすべてを「しごと」に重ね合わせることが必要です。

 そう考えることが、「人間」にとって良いものだけが「しごと」になりうる、という社会につながるのではないでしょうか?

 さ〜!みんな、老けてなんかいられませんよ。顔、体はともかく「脳みそ」だけは。