年金のない未来

 嬉しいものです。ある友人からリクエストがあったので「時空自転車」シリーズ復活です。今回は年金制度が壊滅した未来の日本へひとっ跳び!
 初代時空自転車「パナソニック・オフタイム」は東京にいる次女のアパートへもらわれていきました。

 二代目「ブロンプトン」の調教?がやっと終わり、秋の好日、久しぶりに未来へ跳ぶことになりました。

 どちらもただの折りたたみチャリなのですが、私が乗ると過去や未来へ跳べるタイムマシンに変身できるのです。

 それを知ったのは二年前のこと。

 3.11の大震災は時空間にも亀裂を生じさせたらしいんです。

 何ゆえ私だけが時空間を移動できるかって?

 それは、私がぶきっちょでよく「こける」からなんです。

 自転車を走らせているとき、実に絶妙なタイミングで前のめりに「こける」と、時空のゆがみに入って移動できるんです。


年金のない未来

 二代目となった「ブロンプトン」は時空自転車にぴったりだと知った。

 英国生まれのこの高性能折りたたみチャリ、舗装された直線道なら、車輪がたった16インチのくせに時速40キロくらいまで平気で出せる。

 ところが前が軽いせいか、砂利道や曲がりくねった道ではこけやすいのだ。

 いつもの土手道、前のめりにこけた私は50年後の日本へ跳んでいった。

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 未来へ跳んだときいつも感じるのは「今?の時代とあまり変わっていないな〜」という印象だ。

 ま〜これが数百年、千年先という未来ならそうではないかもしれないが、私が今まで跳んでいけたのはせいぜい百年ちょっと先ぐらいだ。

 いつものようにこの時代の住人を装い社会見学を始めた。

 おもしろい変化は新聞だ。

 「まだ紙の新聞を読んでいるんだ!」と思ったら、さにあらず。

 紙は紙だが、興味ある記事を指でさすると紙面の上にホログラムが浮かび上がる。

 それを私たちの時代のタブレット端末のように指で操作すると、電子データの記事や映像が現れるのだった。

 手のひらやあごで払うしぐさをすればホログラムは消えて、再び紙面だけを読めるようになる。

 紙媒体と電子媒体が融合した、とても人間の感性に合ったしろもので感心した。

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 しばらく町の中を自転車で走ってみたら細かい変化に気づいた。

 この場所は過去?私が住んでいた町なのだが、人が多くなっている。しかも若者たちも。

 「ほう!ようやく大都市への一極集中が終わりを告げたのか?」と思った。

 よくよく観察していくと、一軒の家に一緒に住んでいる人たちがとても多くなっている。

 それも年齢が様々で、家族だけでもないようだ。

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 かつては草ぼうぼうの空き地がやたら多かったが、この時代そんな風景はなくなっている。

 空き地という空き地はすべて畑になっているのだ。

 ミニビニールハウスやミニ鶏舎なんかもたくさんある。

 昔のホンダドリーム号みたいな自走自転車がカッコよく装いを変えて、これまたカッコいい幌付きリヤカーを引っ張っているのによく出会う。

 街中にはヨーロッパのカフェを日本調にアレンジした露天食堂がたくさんあって、茶飲み話を楽しそうにしている人たちが多い。

 驚くことに、建物や調度はほとんどが木製に変わっている。

 「あれ、もしかしてペダルを逆回しして過去に跳んだのかな?」と一瞬錯覚しそうな光景が多いのだった。

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 「これは幸運にも政治がうまくいったからに違いない」と、思った。。。

 ところが真実は逆だった。

 予想よりもはるかに早く、私たちの時代から20年後に公的年金制度は崩壊したのだった。

 私たちの時代、二人三脚のようにあらゆる国々が虚像のようなマネー経済という縄で足を縛り合って走っていたのだが、ある大国がこけてしまった。

 それと同時に他の国もみなこけてしまい、マネー経済は実物経済へと一気に移行せざるを得なくなったのだ。

 その30年後が、今見ているこの世界である。

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 私はこの時空旅行の前「エリジウム」というアメリカ製のSF映画を観てきたばっかりだった。

 その映画が描くのは、スラムと化した地球に難民のようにして暮らす99%の人類と、天国のような宇宙ステーションで暮らす1%の人類に分かれた絶対的格差社会であった。

 「え〜!マネー経済という巨大エンジンがイカレたのに、貧困による超スラム化や悲惨な戦争が(少なくてもここには)なさそうなのはいったいどうしてなんだ?」

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 私がこの旅に出た日の新聞にはこんな記事が書かれていた。

朝日新聞 2013.10.6

年金を損得で考えるのはまちがい。

 「年金で損か得かを考えるべきではない。金融商品じゃないですから」

 この言葉を、大和証券グループの鈴木茂晴会長から聞いてちょっと驚いた。・・・

 ・・・世界初の公的年金制度は1889年、ドイツで始まった。この国を統一に導いた鉄血宰相ビスマルクの政策だ。

 「彼は、人が太古からやってきたことを近代国民国家向けに再構成したのでしょう」。年金の歴史に詳しいライフネット生命保険の出口治明会長はそう見る。

 「大昔、人は群れ全体で赤ん坊や老人など弱い者の面倒を見ていた。それが村になったり家族になったり。産業化が進み近代国家になっても、働けなくなった者を放っておいてのたれ死にさせては社会が不安定化する。それを防ぐ仕組みが公的年金としてできあがっていった。」・・・

 ふ〜〜む、年金制度とは「相互扶助制度」だったのだな〜、と改めて感じさせられたのだった。

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 私はこの時代の図書館に行って、年金崩壊後の世界の歴史を調べてみた。

 調べてみて(良い意味で)ショックを受けた。

 たしかに、年金崩壊という事態はまるで3.11の大地震大津波にも匹敵するような惨事ではあった。

 ところが、やはり3.11直後と同じように人同士の助け合いが始まったのだ。

 そして多くの人々がこう悟ったようなのだ。

 「今までは、自分の安心にしても、人助けにしても、社会への貢献にしても、社会の安定化にしても、すべて「お金」という便利なもの一本に還元していた。それを免罪符のようにして安心していたのだ。私たちは「金」が代替した真の目的についてすっかり忘れてしまっていたのだ」と。

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 とても便利で単純で公平な基準であった「お金」。

 その魅力に縛られ過ぎていた私たちは、泥臭く多様でやっかいな「相互扶助」というものを、「お金」というものでロンダリングしていたのだった。

 年金制度崩壊後しばらくの間、人々は、やっかいで泥臭くて大変な「相互扶助」がとても大変だった。

 しかし、やがて「お金」を介さない社会の生きやすさ、新鮮さ、楽さに魅力を感じ始めていったようだ。

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 それとこんな事情も混乱を防ぐ理由になった。

 まず、不公平感を募らせていた若者たちは「年金崩壊万歳!」と叫ぶ者が多かった。

 年配者にしても、毎年のように支給額が下がっていったので、年金だけを当てにする生活は不可能とだれもが思っていた。

 厚生年金と国民年金の圧倒的な金額差に、しょうがないと思いつつも不満を持っている人たちが多くいた。

 中途半端に期待し年々落胆が加速する制度が思い切り崩壊したので、かえってセイセイしたという人も多かった。

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 この時代はそんな年金を当てにしないで生きる知恵や工夫に満ちあふれ、とても生き生きとしていた。

 長屋のように、しかし多様に上手に半プライバシーを保てるようにリフォームして暮らすユニークなシェアー居住。

 半自給自足と物々交換がサブシステムとして機能している「個農」「群農」の社会。

 需要に応じて様々な職場で様々な仕事に携わる、フレキシブルな仕事スタイル。

 町中で常にまわり続ける「地域通貨」、それさえ無くても何かの労働で支払うことだってできる。

 一番高く換算されるのは老人や障害を抱えた方々に対する労働サービスだ。

 さらに地域通貨が使われるたびに「地域貯金」が増えていく。

 「地域貯金」は働けない人の扶助だけに使われている。

 おもしろいのは子どもたちがたくさん働いていることだ。

 もちろん放課後のアルバイトなのだが、この社会では様々な仕事が大事な勉強と見なされているし、地域通貨をもらえる子どもたちは大喜びだ。

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 この時代の人は、昔のマネー社会のことはもう忘れている。

 (すぐ忘れてしまうことだけは、昔とちっとも変わっていないな〜〜)

 私は、ある若者にこんな質問をしてみた。

 「お金を貯めてなくて平気なの?」

 怪訝な表情でその若者は答えた。

 「『使えないお金』『使わないお金』に何の意味があるの?」と

 続けてこんなことも言った。

 「お金より仲間がいないとやっていけないよ、この社会は」

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 一番うれしかったことがある。

 このような意識の社会では、自給自足とは正反対の価値観と思える「原発」などはとっくに姿を消していた。

 やめても残る過去の放射性廃棄物の問題は、当面「オンカロ」に委託できるようになっていた。

 次の3.11や9.11がこの時代まで起こらなかったことは実に幸運だったと、心の底から思った。

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 未来に来てもう三日が過ぎた。

 そろそろ私の時代に帰ろう。

 実は、こちらの時代の方が自分にはなじむ気がして離れるのが少し淋しい。

 でも、元の世界にも仲間がいるし、こちらで得たことを活かす喜びだってあるだろう。

   ☆

 いつの時空旅行でも夕焼けは変わらず美しい。

 ペダルを逆に回す私の足は軽かった。

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