妄想科学小説「発電病院」

 大手家電メーカーが「兆円」に達するほどの巨額の赤字!。数年前に引き続き、またも「万人」という単位のリストラが・・・。零細でも経営者のはしくれとして人ごとではありません。そうしたら、こんな妄想が生じてしまいました。
 バブルが崩壊した90年代初期、本当に申し訳ないのですが、私は内心「ヤッタ!」と思ったんです。。。

 それまでは、社会生活のスタートで大きな会社に入れさえすれば、多少パーで融通がきかなくても一生安泰のエスカレータ人生が約束されていたんです。(と、私は思っていました)

 残念ながら、私はそんなコースに乗れなくて、エスカレータをまぶしく横目で見ながら、今の会社を興すまで6回も職業を流転してきました。

 職をやめるたびに長い失業期間があり、毎回経験する職探しの困難と今後の生活への恐怖、家族への申し訳ない思い。。。

 そのエスカレーターがバブルで崩壊したのです。

 ところが、エスカレーターは崩壊したけれど、やっぱりエスカレータに乗りたい人だらけの世の中が今日まで続き、エスカレータより魅力的な装置はさっぱり姿を現しません。

 姿を現したのは、「キーボードで一攫千金の兆万長者」のITギャンブルや金融ギャンブルにあこがれる世界でした。

 しかし今、私の感覚は変わりました。ようやく生活が普通にできるようになったからそう思えるのでしょうが。。。

 またも大量リストラ! リストラされた人はどうしていくのだろう?と大いに身につまされています。

 そして「会社に依存しすぎる生き方」の危険性をあらためて感じています。

 昭和40年代に入る寸前から、つまり東京オリンピックの頃から世の中は変わりました。

 地域が消滅へ向かいました。「自営(独立個人)」の要素が希薄になっていきました。その要因は三つだと思っています。

 「車」、「スーパー」、「会社」

 そして今、どの町にいっても基本をなしている、つまり私たちが過度に依存しているのも上の三つです。

 リストラされても平気さ!という社会や生き方ってあり得るんだろうか?ということで妄想をショートショートで思いつくまま書いてみました。(書きながら考えているんです。。。だから妄想です。スミマセン。)


発電病院

 宇宙というものは多次元世界らしい。

 今から描写する世界は、私たちの世界と同時に存在する「もうひとつの私たちの世界」の話である。

 その国の名前は「ヤマト」、私の伝聞形式にしてお伝えしよう。

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 「ヤマト」は一見、「日本」と変わらない。

 多くの人が背広姿で「会社」に通っている。

 でも、しばらくこの世界にいると「日本」とはちがう空気を感じる。

 みんなニコニコしているし、のんびりしている感じだ。

 私はある夜居酒屋で、私ぐらいの年代の(くたびれた感じの)サラリーマンオヤジに聞いてみた。

 「リストラってありますか?」

 そうしたらこの世界でも通じる用語らしく、オヤジはこう答えた。

 「リストラって会社の業績で雇用調整することでしょう。日常茶飯事ですよ。そうでなくちゃ会社経営なんてリスク高くて誰もできないでしょう?」

 「え〜! でもそれじゃリストラされた人の生活はどうなるんです?家族は?子どもは?」

 オヤジが不思議そうな顔をするので、私は思いきって別な世界からやってきたことを明かした。

 彼は酔っているせいか少しも動ぜず、逆に自慢げにあれこれこの世界の仕組みを説明してくれた。

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 なるほど!こんなしくみなら私たちの世界でも不幸は減少できるかも!と私は思った。

 「ヤマト」の国では、リストラ、つまり雇用調整こそ産業の基本構造になっている。

 リストラされた人はどこに行くのか?別な会社や働く場に行く。

 (当たり前だろう、それがスムーズに行かないから大変なんじゃないか!)

 「ヤマト」で流動化がスムーズに行われる要素はふたつある。

 ひとつは、教育における「多能化」方針だ。

 日本では「一芸に秀でる」ことを良しとし、専門(馬鹿)を究めることを奨励する。

 ヤマトではそれを「危険」とみなして、幼児から「多能化教育」を徹底しているのだ。

 ふたつめは、「社会の緩衝装置」の違いだ。

 日本では、セーフティーネットといって、一時的な金銭支援や補給のしくみが緩衝装置となっている。

 ヤマトでは、緩衝装置が「生産装置」であるのだ。

 生産装置とはこういうものだ。

 まず、経済活動が活発することは悪いことではない。環境を損なわず、私たちや生き物にとって「幸福」を増進するものであるという前提のもとにだが。

 ところが、経済活動というのは、促進と停滞のアンバランスを、あらゆるところで際立たせるということがその本質の一つである。

 工業が栄えれば、農業が衰退するというようなことだが。

 そのアンバランスの調整が下手なのが「日本」なのだが、「ヤマト」はリストラを利用してそのバランスを逆に回復しているのだ。

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 どんなしくみかって? 少しだがその例を見てみよう。

 まず、リストラされた人はすべて「食う、寝る」が絶対に保障される。

 保障の仕方が「現物」であり「生産活動と引き替え」であるということが特徴なのだ。

 リストラされた人や家族は、お金の給付などいっさいなく、国の機関の指示により、今「ヤマト」にとって必要とされている産業に従事する。

 たとえば、農林業のしごと、風力発電装置の建設・・・。競争力が弱い産業、人手が必要な産業のうち、自分がある程度好む職場を選んで従事する。

 つぎの会社の引き合いがくるまでいつまでいてもよい。

 施設が整っているので、かえって住み心地がいいという人が多いようだ。ここで失われた地域社会の良さも味わえるというのは、人生とか子供の教育という点でも価値が高い。

 しかも、これらの仕事が、国をよくすること、よきバランスを保つためにあるという「誇り」が、皆の顔に表れていて、実に健康的な職場となっている。

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 驚くべきは「病院」や「福祉施設」だ。

 身体の自由がきかない人とか、お年寄りも生産活動に従事しているのだ。

 私はびっくりした!

 ベッドに寝ながら「ニギニギ」を一生懸命行っている老人たち、歩行マシンを一生懸命歩いているお年寄り・・・

 日本だって同じだろう? いや大いに違うのだ!

 これら運動すべてが「発電」に使われているのだ!

 寝たきりのお年寄りでさえ、その排泄物をバイオマスとして発電している。

 それを各施設毎、各人ごとに発電量を把握できるシステムになっているのだ。

 たったこんなことだが、思わぬ意識の変革をもたらしている。

 「私たちもこの世界のために貢献している」と。

 介護福祉施設では、車いすでも作業ができる野菜農園とか、屋内野菜工場とか、身体が不自由な方々を生産活動に役立てるさまざまな工夫をしている。

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 (日本でこんなことができるだろうか?)と私は自問した。

 今のままなら、かなり難しいだろうと思った。

 なぜなら、お金がお金自体で価値があると思っている世界だからだ。

 お金より、「食べる」「寝る」「笑う」、つまり「愉しく生きること」のほうが大事という考えが希薄だからだ。

 でも、別な価値観の世界を少しでも経験できれば、多くの人はきっと気づくことだろう。

 「別な価値観を見せる小さな努力」、少しづつかもしれないがそこに希望はある。(と思ってこんなブログも書いている)

参考
 夏祭り、浴衣、江戸の町