「僕のお父さんは東電の社員です」

 それは小学六年生の「ゆうだい君」の手紙から始まりました。父親が東電の社員である「ゆうだい君」が、『毎日小学生新聞』の記事に憤りを感じて反論を投稿しました。それを読んだとても多くの人々が投稿をしました。この本はそれらの投稿を編集したものです。
 昨日午後、11月30日第1版第1刷の『僕のお父さんは東電の社員です』が届きました。

 たぶん私が一番早く読んだ読者の一人であるでしょう。

 最初に言います。「この本は、とても良い本です」  

 小学生、中学生、高校生、大学生、大人それぞれの投稿を多数載せてますが、特に小学生の投稿内容に良い意味でびっくりさせられました。素直で要点を突き、ストレートに心に届く内容が豊富なのです。大人はうなだれてしまいます。

 反面、核廃棄物の問題については一様に知識不足であったり誤解も多いということも感じました。(たとえばほとんどの生徒が、ひまわりが放射性物質を吸収して無毒化してくれるものだと思っているようです。実際にはひまわりに放射性物質が移転し、そのひまわりが放射性廃棄物に変わるということなんですが)

 この本の魅力は、投稿もさることながら、映画監督で作家でもある著者の森達也さんが本の後半分に書いた内容が出色なことです。

 この本を編集することになった経緯からはじめて、ゆうだい君たち小学生に語りかけるように、原発問題について実にわかりやすく解説してくれているのです。

 その解説というのは、原発問題というものが決して特殊なことではないというスタンスで語られています。

 戦争、水俣病など歴史上のさまざまな事件や、日々の私たちの仕事、集団における人間の習性、生物の進化などの例を引いて比べてみせ、問題が身近で、かつ深いところに根ざしていることを気づかせてくれるのです。

 しかし、そのような共同責任にもかかわらず、東電はじめ当事者にはどのような責任があるのかということもきちんと結論づけています。(そうでなかったら「藪の中」そのものになってしまいますものね)

 大人必見の本です。読んだ後今までの自分自身が恥ずかしくなってきます。

 そこからようやくスタートできるのでしょうか。互いに「未来を話し合う」ということは。

  <<お時間ある方は以下の引用もお読みいただければ幸いです>>

 この本の始まりとなった、実際の「ゆうだい君」の投稿をご紹介します。


「ゆうだい君の手紙」

僕のお父さんは東電の社員です

 突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。

 3月27日の日曜日の毎日小学生新聞の1面に、「東電は人々のことを考えているか」という見出しがありました。(元毎日新聞論説委員の)北村龍行さんの「NEWSの窓」です。読んでみて、無責任だと思いました。

 みなさんの中には、「言っている通りじゃないか。どこが無責任だ」と思う人はいると思います。

 たしかに、ほとんどは真実です。ですが、最後の方に、「危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と書いてありました。そこが無責任なのです。

 原子力発電所を造ったのは誰でしょうか。もちろん、東京電力です。では、原子力発電所を造るきっかけを造ったのは誰でしょう。それは日本人、いや世界中の人々です。その中には、僕も、あなたも、北村龍行さんも入っています。

 なぜ、そう言えるのかというと、こう考えたからです。

 発電所を増やさなければならないのは、日本人が、夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです。

 さらに、発電所の中でも、原子力発電所を造らなければならなかったのは、地球温暖化を防ぐためです。火力では二酸化炭素がでます。水力では、ダムを造らねばならず、村が沈んだりします。その点、原子力なら燃料も安定して手に入るし、二酸化炭素もでません。そこで、原子力発電所を造ったわけですが、その地球温暖化を進めたのは世界中の人々です。

 そう考えていくと、原子力発電所を造ったのは、東電も含み、みんなであると言え、また、あの記事が無責任であるとも言えます。さらにあの記事だけでなく、みんなも無責任であるのです。

 僕は、東電を過保護しすぎるのかもしれません。なので、こういう事態こそ、みんなで話し合ってきめるべきなのです。そうすれば、なにかいい案が生まれてくるはずです。

 あえてもう一度書きます。ぼくは、みんなで話し合うことが大切だ、と言いたいのです。そして、みんなで津波を乗りこえていきましょう。(小学六年生)

 次に時間順は逆になりますが、「ゆうだい君」が投稿するきっかけとなった『毎日小学生新聞』の記事をご紹介します。

東電は人々のことを考えているか

北村龍行(経済ジャーナリスト 元毎日新聞記者・論説委員)

 東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。

 大きな会社が、危険にあうことはある。2008年のリーマンショックの後、アメリカの自動車会社のゼネラル・モータース(GM)は倒産して、国の会社になった。日本のトヨタ自動車も赤字になった。日本航空は、今も会社を建て直せるかどうかわからない。

 その結果、日本や世界の景気が悪くなって、仕事がなくなった人が増えた。しかし、それで人々が学校や会社に通えなくなったり、放射能がもれて、もうこの場所では暮らせなくなるのではないかという恐ろしさを感じさせることは、なかった。

 いま、たくさんの人々が、東京電力福島第一原子力発電所から放射能がもれる心配があるからと、自宅をはなれて不便に暮らしている。その外側にいる人々も、最悪の事態を恐れている。

 また、東京電力が3月14日から地域を分けて順番に停電することにしたので、関東地方の鉄道会社はあわてて電車のダイヤを組み替えた。15日には、電車が止まったので会社に行けない人がたくさんいた。

 それなのに東京電力は、その後も計画停電の内容を変えたり、福島第一原子力発電所の事故をおさめることに失敗し続けている。

 東京電力は、たった一社で関東地方を中心にした地域に電気を供給している。地域独占で、競争がない。

 鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。

 そんな会社に、危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない。

 毎日小学生新聞「ニュースの窓」2011年3月27日

 著者の森達也さんの文からも最後の部分を紹介します。

何のために働くのか
 もう一度考えてほしい。原発は何のために存在するのか。電気をつくるためだ。なぜ電気が必要なのか。みんなが利用するからだ。テレビにゲーム、冷蔵庫にエアコン、農業や漁業、食品や車や日用品の製造。

 ありとあらゆるものに電気は使われている。それは確か。一部の人たちが、こっそりと使っていたわけではない。今こうして原稿を書きながらも、ボクのパソコンは電力を消費している。

 原発を造って管理していた東電の責任は大きい。その東電や原子力発電行政を管理しなければならない原子力安全・保安院や経済産業省の責任も大きい。原発設置を最初に計画して、その後も五十四基もの原発を日本列島に建設し続けた自民党の責任も重い。もちろん現政権与党としての民主党だって責任がある。いろいろな大学で原子力発電や放射能を研究してきた学者たちの責任もある。できるかぎり正しい情報を取材して僕たちに伝えねばならなかったメディアの責任もとても大きい。

 そして知るべきことを知ろうとしてこなかった(だって五十四基の原発が建設されたことや、日本には地震が多いことなど、別に隠されてはいなかったのだから)僕たちの責任も重い。

 責任とは罰を受けることだけではない。なかったことにすることでもない。そんなことは不可能だ。

 本当の責任とは、同じ過ちを繰り返さないようにすること。原因や理由を必死に考えること。そして原因や理由がわかったら、これも修正しようと声を上げること。

 原発問題だけではない。同じような問題はきっと他にもあるはずだ。

 もしも「何か変だな」とか「大丈夫だろうか」と思ったら、リーダーや多くの人の意見とは違っても、「何か変だよ」と発言すること。いきなりは難しいかもしれないけれど、少しづつでもいいから声をあげること。

 最後にもう一度書くよ。本当にごめんなさい。今のこの事態は、言うべきことを言わなかった僕たち大人世代の責任だ。

 だからお願い。二度とこんな過ちは起こさないでほしい。今回の事態を教訓にして(実はまだまったく終息できていないけれど)、地球のため、未来に生きる人たちのため、人類以外の命のため、最も良い方法を考えて、そして実践してほしい。

 もしかしたら、「自分たちにできなかったことを押しつけるなよ」と思われるかな。ならばこう言おう。

 だからこそできる。だってあなたたちは、僕たちの過ちを知っているのだから。

 けっこう長文のタイピングになってしまい目と肩が疲れました・・・。

 しかし、大事な文章を自分で書き写すということが、いかに自己修行になるものかと日々満足も感じています。