フェルメールの悩み

 仙台に来たフェルメールの作品は三点でした。私も十日くらい前に見てきました。二点はすばらしい。しかしもう一点は・・・。
 宮城県美術館にやってきた「フェルメール展」。案の定、大変な人気でした。俗物的絵画愛好家の私としては、「うんちくをたれる」ために行かねばならぬ!

 会期の終盤、それも平日に行ったんですが、大入り満員!推定平均年齢65歳くらいの方々がメインでした。

 で、この手の展覧会ではおなじみの「大相撲型展覧会」でした。おまけの作家たちの作品、つまり幕下クラスからはじめて、最後に「大横綱」登場という段取りで見学順が定められています。

 今回のテーマは「フェルメールからのラブレター展」でした。ヨハネス・フェルメールの数少ない三十数点の作品の中から、「手紙」をモチーフとした作品だけを展示しました。

 制作順に三点を紹介します。

《手紙を読む青衣の女》1663-64年頃

《手紙を書く女》1665年頃

《手紙を書く女と召使》1670年頃

 俗物的絵画愛好家の私が能書きをたれるなら、制作順にすばらしい! が、《手紙を書く女と召使》は、まるでフェルメールにとても優秀な弟子がいて、その人が描いたのでは?と思ってしまうような絵でした。(人により見方はいろいろでしょうが)
 
 フェルメールの画風といえば、少しもやのかかった神秘的な光の映り込み、静謐(せいひつ)さを感じさせる計算された画面構成、画面のあらゆる箇所への丁寧な描きこみ、これらが大きな特徴です。

 しかしこの作品は、フェルメールのもわ〜とした雰囲気が希薄で、単調な写実風になっています。(やはり実物を見てはじめて感じられるものがあります)

 実はフェルメールは、《手紙を書く女と召使》を描いた年の5年後、1675年に43歳という若さで亡くなりました。

 彼は、年に数点しか描かない寡作な画家でありました。また自らはプロテスタントでしたが、婿入りしたときに奥さん方の宗教に合わせてカトリックに改宗しました。(そのせいか?)子供が11人もいて、いかに人気の画家とはいえ家計は晩年になるほど困難を極めたようです。

 彼の傑作を数点あげろといえば、多くの人が次の二点を上げるでしょう。

《真珠の耳飾りの少女》 1665年頃

《絵画芸術》1666-1667頃

 特に「絵画芸術」は珍しく大きいサイズの絵ですし、彼が終生手放さなかった作品です。あの戦争の時には、ヒトラーが奪い隠し持っていました。(私も本物を見ましたが、やはり絵の大きさが印象を後押しします)

 こうしてみると、フェルメールの最盛期は1667年頃、37歳くらいにピークを迎え、その後少しづつ「絵画芸術」に描いた天使が離れていったように思えます。

 たぶん、生活の悩み、経済的な苦況が彼の画才を少しづつ枯らしていったのでしょう。

 同じ時代で同じオランダの大画家レンブラントもあの天才ながら、やはりこの頃破産しています。彼の場合は浪費とかあったようですが、オランダがイギリスに覇権を奪われつつあったこの時代、天才画家の作品にまで何らかの影響をあたえていたのではないでしょうか。

 今回展示の三点は、私にとってはフェルメールの人生、その悩みに思いを致すきっかけとなり、有意義な展覧会でした。

参考
 フェルメールの秘密
 一番悲しい絵
 画廊にいた頃
 中川一政 剛毅木訥
 一番美しい追悼文