現代のロビンソン・クルーソー

 何かの本と似ているな〜、という感じがずっと頭を離れませんでした。マーク・ボイル著『ぼくはお金を使わずに生きることにした』をワクワクしながら読み進んでいる間ずっと。

 わかりました!それは、ガキの頃7、8回は読んだ『ロビンソン・クルーソー』でした。

 あ〜今でも思い出すクルーソーの様々な生活の知恵、日々発見の喜び!

 自給自足の工夫で少しづつ快適さを増していく生活。

 難破船から運んできた樽に入ったラム酒。。。リンネルのシャツ。。。

 それらがどんな味かどんな布か何もわかりませんでしたが、クルーソーと一緒に、多分同じくらい、自分も喜んだものです。

 同じイギリス人(マーク・ボイルはアイルランド生まれのイギリス育ち)というのも何かの縁?

 とにかく、この本『ぼくはお金を使わずに生きることにした』は面白い!

 まるで少年冒険小説の趣です。

 この文明社会の中に無人島(的な場所)を探し、あえて「金なし生活」を一年間実践した日々の記録を書いています。

 彼の目的はこれです。


 そのためにこんなことを行いました。


 彼はどうしてこんなことをはじめたのでしょうか?


株式会社「地球」

 お金は、富を簡単に、しかも長期間しまっておくことを可能にする。この便利な貯蔵手段がなくなったとしたら、地球とそこに住むあらゆる動植物の収奪を続けようと思うだろうか。必要以上の量を取っても利潤を簡単に長期保管できる方法がなければ、おのずと、そのときどきに必要なだけの資源を消費するようになるだろう。熱帯雨林の木々を誰かの銀行預金残高に変えることもできなくなるから、毎秒一ヘクタールの熱帯雨林を伐採する理由自体がなくなる。木が必要になるまでは地面に植わったままにしておくほうが、ずっと理にかなっている。

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 地球を小売業にたとえてみよう。世界の首脳たちが店長だ。株式会社「地球」の店長たちは四年間の短期契約で働いているので、次も契約を更新してもらえるよう、短いスパンでなるべく多くの利益を上げたい。そこで、年間の収益を水増しして損益計算書の見ばえをよくするため、レジスターと陳列台を一部売却することにする。実際、それは功を奏す。ぼくら株主はわざわざバランスシートなど見ないから、店長たちの契約は延長される。明くる年、重要な備品の減少によって販売力は低下し、また同じやり方で穴埋めせざるをえない。そのくりかえしの末に、持っていた資産を使い果たしてしまう。その間、株主はといえば、収益を再投資に回すより、実用性の低い短命な商品を買うことを選択していたのだ。

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 われわれの地球は、このたとえを地で行っている。今まさに、資産を換金しては、得た利益ですぐに陳腐化する製品を買っている。ビジネスの長期戦略として、まともな経営者なら絶対に勧めないやり方だ。『アドバスターズ』の創刊者カレ・ラースンは、二〇〇九年にこう言っている。

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 ……われわれは、経済学の核となる教えを破ることによって豊かになった。「汝、資本を売却して収益と呼ぶなかれ」である。過去四十年にわたり、森林を伐採し、絶滅寸前に追いこむまで魚を取りつくし、無尽蔵であるかのように石油を吸い上げてきた。この星の自然資本を売り払って、それを収益と呼んできたのだ。そしてついに、経済と同様に、地球も丸裸にされてしまった。

 彼の考える「新しい経済」について。

 それは「お金を媒介とした経済」でもなく「物々交換の経済」でもない、「分かち合い(シェア)の経済」なのです。

売ることと与えることの差異
                     
 ぼく自身はとりたてて、従来の意味でのスピリチュアル(精神的な)人間ではない。ぼくが心がけているのは、いわば「応用精神主義」。自分の信条を抽象的に語るだけですまさず、現実世界にあてはめて実践することだ。頭と心と手の間に矛盾が少ないほど、正直な生き方に近づく。ぼくはそう信じている。精神性と物質性は同じコインの裏表にすぎない。

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 そんなぼくだが、カネなし生活には精神面での美点かあると考えている。人が家族や友だち以外の誰かのために働くときは、おおかた何かしらとの交換になる。何かをするのは代償があるからだ。ぼくが思うに、売り買いと与え合いのちがいは売春とセックスのちがいのようなもので、行為の背後にある精神か大きく異なる。相手の人生をもっと楽しくしてあげられるからというだけの理由で、代償なしに何かを与えるとき、きずなが生まれ、友情が育ち、ゆくゆくはしなやかな強さを持ったコミュニティーができあがる。ただ見返りを得るために何かをしても、そうしたきずなは生まれない。

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 カネなし生活を志向するもう一つの大きな動機は、もっと単純で感情的なこと。ぼくは疲れてしまったんだ。毎日起きている環境破壊を見聞きし、ちょっとでもそれに加担することに。どんなに倫理性を標榜(ひょうぼう)する銀行であろうとも、限りある地球で限りない経済成長を追求している存在に対し、自分のお金を提供することに。西洋のぼくらが安価なエネルギーの恩恵を受けるために中東の家庭や土地がめちゃめちゃにされる姿を目にすることに。ぼくは疲れた。そしてなんとかしたかった。ほしいのは、対立ではなくコミュニティーだ。争いではなく友情だ。人びとがこの地球と和解し、そこに住む自分自身やほかのすべての生き物と和解する姿を、この目で見たいんだ。

 彼は「分かち合い(シェア)の経済」が可能かどうか、自らの実践で確かめようと決心しました。

 「金持ちになる方法」といえば、だれも疑問を持つ人はいません。ところが「金なしになる方法」というのは初耳です!

カネなしになる方法

 なぜお金と決別すべきなのかを理屈では説明できても、それを実行に移すとなるとかなりの難事業である。二〇〇七年、とにかくやってみようと決心したぼくは、ブリストル湾に係留してあった虎の子のハウスボートを売り、そのお金で「フリーエコノミー・コミュニティー」というプロジェクトを立ちあげた。お金を使ってお金をなくそうとするなんて偽善的だ、と言う人もいるだろう。だけど、お金だって石油と同じこと。今現在あるものを利用して、将来のために持続可能なインフラを構築すればいい。

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 それまでにも、LETSやタイムバンクなどの地域通貨制度を使ったことはあった。お金ではなくスキルや時間を交換するシステムだ。グローバルな貨幣制度に代わるものとして非常に意義があると思うが、交換に基づくという点ではお金と同じで、無条件に与えるわけではない。ぼくの理論はこうだ。ある程度の大きさのコミュニティーの一員となって、そこにいろいろなスキルを持ったメンバーがいれば、人の手助けをするとき、相手がお返しに何をしてくれるかなんて心配しなくていい。支援が必要なメンバーにはいつでもコミュニティーが手を差し伸べてくれる、そんな安心感があるからだ。助けてあげた相手が助けてくれることはないかもしれないし、助けたことのない人から助けてもらうかもしれない。通常の貨幣制度とのちがいは、コンピューター画面上の数字で安心の度合いをはじきだすか、好意で何かをしてあげたときに生まれる人とのきずなに安心を見いだすか、である。一方では高い塀が張りめぐらされ、もう一方でほ強固なコミュニティーが築かれる。

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 ボートの売り上げでウェブ開発者に協力を依頼したのは、人びとが営利目的ではなく好意から助け合えるようなオンラインのインフラづくりだ。最大のねらいは、ウェブサイトか橋渡しとなって人びとか無料で助け合えるようになることだが、そのためにどうするのが一番よいのか、議論を重ねる必要があった。最終的に、分かち合い(シェア)を中心におくこととした。分かち合いの効用は、世界中で使われる資源を節約できるだけではない。まわり道ながら、人どうしを結びつけることにもなる。自分が何かを分かち合った相手を前より悪く思う人かいるだろうか。言いたいのはそこなんだ。分かち合いはきずなを作りだし、恐怖心をやわらげ、われわれの生きているこの世界も捨てたものじゃないと思わせてくれる。世界中いたるところで日常的な人づきあいがもっと和やかにならないかぎり、本当の平和が訪れることはない。全体とは細部からできているのだから。

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 フリーエコノミ−・コミュニティーは、スキル、道具、そして空間を分かち合うウェブサイトになった。サイトを通じて出会った人たちが、新しいスキルを教え合い、資源を蓄積していくうちに、最終的には、何をするにしてもお金に左右されることのない生活を送れるようになる、そういう場にしたい。サイト名は、プロジェクトの精神を一言で表す「justortherloveofit.org」(そうしたいからするだけ)とした。すぐに注目が集まったのには、われながら驚いた。コンセプトそのものは昔からあるのだが、インターネット上に設けた点が新しかったのだと思う。一年もたたないうちに、ジャーナリストたちは、カネなし運動全般を指して「フリーエコノミ−」と呼ぶようになっていた。

 多くの人はこう考えます。

 「今の生活を否定して原始生活に戻ろうなんて話にならない」

 私はこう考えます。

 「人はどうして登山をしたり、キャンプをしたくなるんだろう。きっと本来の自分、野性の自分を感じたいからだ。本来の自分、野性の自分というのは『自分の肉体で生きる』『自分の頭で考える』ことに違いない」

 「人はときどき本来の自分を取りもどす時間をもたなければいけないし、文明にも「野性」の要素が必要だ。一かゼロかじゃなくて、今生きているこの現代生活に、どこかに置いてきてしまった多様な価値観、多様な生き方を多様な案配で加えていくことが、自分と社会の豊かさにつながるんじゃないだろうか」
参考
 「Newbinboビジネス」迷想
 「豊かで愉しい貧乏」探求