「タイム」と「モモ」

 『タイム』(原題『In Time』)という映画を観てきました。近未来の「究極の時間格差社会」がその舞台です。ネットの評判は5点満点の3点に届かないようですが、私にはとても興味深く夢中で観ました。エンデの『モモ』に描かれた重要な要素をクローズアップしているように感じたからです。
 この映画、登場人物が走る場面がやたら多いので躍動感を感じました。まずは、ネタバレしない程度のあらすじを。


 各自の腕にタイム・クロックが埋め込まれており、貧しい人々は限られた時間を切り売りして生きていかなければならない「時間格差社会」を描いたSF映画である。

 科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。

 人々は労働の対価として「金」ではなく「時間」を手首から補充される。それは互いの手首を交えることで移動や略奪も可能なのだ。

 貧しい青年のウィルは、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまう。

 やがてウィルは、自分たち貧しい者が暮らす「スラムゾーン」の人間と、永遠の命を与えられた「富裕ゾーン」の住人たちの間にある不公平なシステムに疑問を抱く。彼はその謎を解くために、富裕ゾーンに入り込むのだが…。

 この映画は「社会の格差」というものの本質を一瞬にして理解させます。

 実際には「格差」には様々なものがあるのですが、それを「時間」というものに一元化しているため、とてもわかりやすいのです。

 その世界は「時間」=「金(財産)」=「いのち」という公式の世界です。

 「時間」だけしか価値がない社会なのです。

 その「時間」をどこまでも追求しようとする一握りの富裕層、それは「永遠のいのち」を手に入れようとする際限なき欲望だけが本質です。

 普段私たちは、「時間」も「金」も「いのち」も別の価値とみなしています。

 しかしよく考えると、これらはみな根っこでつながっているようです。

 「金」を「時間」に置きかえて、現代の「金」の問題点と「本来の時間」とは何かを明らかにしたのがミヒャエル・エンデの『モモ』です。

 さらにエンデは、「時間」と「いのち」が一体であるということも「時間の花」で表しています。

 『モモ』では「時間貯蓄銀行」から来た「灰色の男たち」が現れます。

 『タイム』に出てくる富裕層のボディーガードたちは、『モモ』の映画版に出てくる「灰色の男たち」ととてもよく似ていました。

 『モモ』から少し引用します。

6章「インチキで人をまるめこむ計算」より

 大きな工場や会社の職場という職場には、おなじような標語がかかげられました。

 「時間は貴重だ 無駄にするな!」

 「時は金なり 節約せよ!」

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 どこまでもまっすぐにのびて、地平線のはてまでつづいています。整然と直線のつらなる砂漠です! 

 ここに住む人びとの生活もまた、これとおなじになりました。地平線までただ一直線にのびる生活! 

 ここではなにもかも正確に計算され、計画されていて、一センチのむだも、一秒のむだもないからです。

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 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。

 じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。

 でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。

 というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。

 けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
       
 人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。

 灰色の男たちが支配した近未来の社会はどんなものか、その映像を見せてくれたのが『タイム』です。

 しかしこの映画では、「本来社会はどうあるのがよいか」や「灰色の男たち後の社会」についてはいっさい語っていません。

 『モモ』が想像した「灰色の男たち」の社会だけを、よりリアルに映像化したものととらえられるでしょう。

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 さて、映画を見終わって大型店のショッピングフロアーに出れば、そこには多くの人々が暖かい服装で、なくても困らない品々の買い物、夕ご飯が食べられなくなるほどのお菓子やドリンクを愉しんでいます。

 同じとき、アフリカでは大変な旱魃で、飲み水さえない状態の人々が多数とニュースで報道していました。

 『タイム』を観て、私たちは「そのとおりだ、富裕層だけが富を独占している!」とうっぷんばらしを味わいます。

 しかし、客観的に考えれば私たちの国は『タイム』のなかの富裕層が暮らすゾーン(国)であるに違いないのです。

 そんな国に住んでいても、多くの人が「格差」を感じているこの社会とはいったい。。。

参考
モモが出番を待っている