父と一緒に定義へドライブ

 きのうは会社を休んで父と一緒に定義へドライブしてきました。昨年末車をようやく手放してくれた父の運転手をつとめています。
 ドライブがとても好きな90歳の父を乗せて、今年初の「定義如来(じょうぎにょらい)」参りをしてきました。

 初期?認知症の父から車を取り上げるのは実に至難のことでした。

 昨年夏から約半年かけて計画し、東京に住む姉と共謀してようやく老父から愛車を引き離したのは昨年12月でした。

 西部のカウボーイが愛馬を手放すようなものでした。

 私たち家族もこのプロジェクトでとても神経がまいりましたが、なんとか老父に危険な自動車運転をあきらめてもらうことができました。

 先日、仕事関係の集まりで同年齢の父を持つ方と話したんですが、そちらも同じ事情。

 私たちとは違った謀略でなんとか免許証を返上させたということを聞き、二人で深くうなずき合いました。

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 愛馬ならぬ愛車を手放したのはいいが、老カウボーイはやはりストレスに襲われます。

 そこで息子としては、たまに(愛犬の散歩のごとく)一人暮らしの老父をドライブに連れ出して気分転換させねばなりません。

 行き先はこれまた父の好物じゃなかった、父のお気に入りスポットである仙台市は西のはずれにある古刹「定義如来西方寺」です。

 以前、父はこの「定義如来」へ毎月お参りしていました。

 このブログでも、ここへの旅行記を何回か書きました。

 今日もお気に入りの「かなちゃん」とツーショットでご機嫌です!

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 少し遠くへドライブに連れて行くたび父は嬉しそうにこう言います

 「あ〜〜、自然を見ると気持ちが晴れるな〜」

 実際、いつもドライブ後3,4日は上機嫌です。

 単純でほんとうにありがたいな〜と思います。

 道中、具体化してきた「自然派シェアオフィス」のことなどを話すと、ドライブで頭がシャッキとするせいか、とても好意的な感想を語ってくれます。

 そういえば、学生時代から様々な冒険をやらかし、社会に出てからも様々な職種を遍歴した私を、責めることなくそのつど認めてくれたっけな〜と思い出しました。

 父は学校の先生でしたが、私にとって一番いい先生だったんだな〜と気づいた次第です。

 ま〜こんなふうにして、日々ご飯を作ってあげたり、ドライブに連れて行ったりするのは、私にとって不自由なことが多いにしても実に幸せなことだと思いました。

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 帰り道では、ど田舎にあるカフェレストラン「レーチェ・マリア」でコーヒーとケーキを食べました。

 胃がんで胃袋がなくなり、大腸がんで大腸が30センチもなくなったのに、この歳になっても毎日変わらぬ父の食欲にたまげてしまいます。
 
 水木しげるさんもそうですが、父の年代の方々のしぶとさ、生への執念には敬服してしまいます。

 水木しげるさんはニューギニアで生死をさまよいましたが、父は北朝鮮出征とシベリア抑留でやはり生死の境を経験しました。

 どちらも楽天的な性格のようですが、その生命力と(秘めたる)精神力は半端ではありません。

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 最近は父の認知症も少し良くなってきたような気がします。

 介護「要支援」レベルに認定されたので、昨年末から若い(といっても三、四十代)の介護ヘルパーさんが週二回一時間ほどきてくれるようになりました。

 私たちの他に買い物や掃除を手伝ってくれているんですが、どうもその影響もあるようです。(若いエキスを無意識に吸い取ったのかもしれません)

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 そんな父の脳みそを活性化させようと、車中、四方山話をあれこれ仕掛けます。

 政治の話になると、最近のニュースや新聞を見て感じるところがあるのか、つぶやくようにこう言いました。

 「昔にかえるようだな。。。」