人の顔をした危険なロボット

 年をとると目が弱るせいでしょうか、最近私は人というものが二とおりに見えてきました。もちろん私の目がおかしいとは思うのですが・・・ひとつめは本当の「人間」で、ふたつめは人の顔をした「ロボット」です。
 ロボットにも種類があって、まず「経済ロボット」と「権力ロボット」
何を動力としているかというと「利益」と「効率」です。すべて論理演算記憶性能と戦闘性能が高いことが特徴です。誰かに「使われる」能力(?)がすごく高いといえますね。

 有名な経済評論家とか社長とか政治家とか御用学者の役で、テレビやネットによく出てきます。最近の大きな問題、たとえばリーマンとか原発とか起こしているのはこの種のロボットですね。

 もう一つ家畜型犬ロボットもあって、こちらは自分の頭で考えず、常に時の権力に従うのが特徴です。本などは読みません。これは日本中にいっぱいいます。
あ、コマーシャルにも犬のまんまで出てましたね!

 それじゃ人間とはどういうものだ、ということですが、そもそも人間はアナログなのでデジタルのようにはっきり白黒に分けられるもんではありません。

 ま〜私と似たような思いを持った作家がいますので代弁してもらいます。ロボットを野蛮人、原始人、非文化人と置きかえて語ってますが・・・。

坂口安吾「悪妻論」より

 才媛といふタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、物理学ができるのだか知らないが、人間性といふものへの省察に就てはゼロなのだ。

 つまり学問はあるかも知れぬが、知性がゼロだ。人間性の省察こそ、真実の教養のもとであり、この知性をもたぬ才媛は野蛮人、原始人、非文化人と異らぬ。

 残念なことに、現代においては多くの人が野蛮人、原始人、非文化人よりも人間性が劣るという状況になってしまったようです。坂口安吾もきっとあの世で「想定外」と思っていることでしょう。